パイロット仲間の横溝政明が、国際会議のかたわらスエーデン貴族の博物館での写真をくれた。貴族の一族にはパイロットも居たようで、遠方にWWⅠ時代の複葉機やオートジャイロ、そして手前の大写しはB17爆撃機とオースチンセブン。
B17と云ってもボーイングではない、スエーデンで自動車屋になる前のサーブの作品である。
1922年生まれのオースチンセブンは、云わずと知れた大衆車の草分け的名車だが、696cc/7馬力がパワー不足で不評ゆえ翌年747cc/10馬力になって人気上昇。最高速度65㎞は大衆に満足の性能だった。開発時手本はプジョーのクワドリレットだったようだが、以後セブンが大衆車の世界的手本になり、BMW初の四輪ディキシーはセブンのライセンス生産。ジープ開発で知られるUSバンタム社はアメリカンオースチンの名で29万台を売り上げた。
オースチンの社史には日産との関係が記されている…WWⅡ前ダットサンは小型車の代名詞になっていたが、戦後の110型までの心臓、サイドバルブエンジンの基本はオースチンだったのではと考えられる。戦後は技術提携でオースチンA40/50を生産。
さてサーブB17爆撃機誕生のいわれは、怪しげになった欧州情勢に中立国スエーデンが危機感を抱き、戦争で飛行機輸入が途絶えるのを恐れた空軍の要請に応えたものだった。
で、37年開発を開始し、ドイツ軍パリ陥落の40年に初飛行成功。全長10.06m全幅13.72m・重量3850kg・USプラットアンドホイットニー1165馬力・最高速度434㎞・搭載爆弾680kg・42年~44年迄に252機を生産し、戦後66機をエチオピア空軍に売却。
さて私はセブンで大変困惑したことがある。昭和39年頃宇都宮の富士重工飛行場でグライダー合宿の時、重い曳航索を曳くのに市内のタクシー屋から戦前の骨董的セブンを借りてきたことがあった。
が、発進時のエンストで誰も動かせない…クラッチが上手く繋がらないからで、私だけが何とか発進するコツを掴んだ。
後年、英国人記者に話したら「当時あれはサドンデスクラッチと呼んでいた」と教えてくれ、英国の本にクラッチストローク僅か6㎜で発進時の姿はカンガルーのようと書かれていた…常識的クラッチミートではエンスト、うまくいってもピョコンと跳び出す。
私が工夫した操作は、重いクラッチペダルを思い切り強く爪先で踏み込み、そのまま親指だけの力を徐々に抜いていくと上手く発進するというコツを掴んだのである。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。