日産栃木工場50周年

コラム・特集 車屋四六

2018年10月11日、日産から届いたメールで、日産の栃木工場創業から50年も経ったことを知り、懐かしく想い出した。

50年前とは昭和43年。既に敗戦から23年が経ち、荒廃した国土の中で大人達が懸命に働き、経済も復興して、戦争を知らない若者も増えてきた頃である。

世の中、昭和40年頃から45年迄の57ヶ月間続いた好景気で人々はイザナミ景気と浮かれていた。日本初高層霞ヶ関ビル完成、三億円強奪事件が話題になり、日産ではサニークーペが登場し、人気のローレルやスカイランが衣替えした。

そんな中、昭和43年/1968年に創業の栃木工場は日産国内最大規模の工場で、フェアレディZ・スカイライン・フーガ・インフィニティなどを生産。この50年間に983万台を送り出した。

そんな工場に一周6.5㎞のテストコースが完成したのが1978年だった。成田空港開港・池袋サンシャイン完成。巨人軍王がホームラン600号到達、巷にピンクレディーのUFOが流れ、インベーダーゲームが大流行していた頃のこと。

ちなみに78年には好景気を反映、日本では14種もの新型乗用車が登場。順に並べると、トヨタスターレット、三菱ミラージュ、三菱ギャランΣ、エテルナΣ、三菱ギャランΛ、エテルナΛ、マツダサバンナRX-7、ダイハツシャルマン、トヨタセリカXX、日産パルサー、トヨタターセル、トヨタコルサ、日産フェアレディZ、トヨタコロナ、マツダカペラ、ホンダプレリュードである。

記憶が定かではないが、初走行は登場したばかりのフェアレディZで、谷田部の高速周回路より走りやすいと感じたのを想い出す。確かセドリック、ローレル、ブルーバードなど現役の顔ぶれも揃っていたと記憶する。

栃木周回路を走った78年誕生のフェアレディZ:試乗記のために借りだし調布空港で撮影/後方にシトロエンGSが。

国鉄初乗り運賃80円、国鉄リニアカー時速337キロ世界記録樹立、乗用車保有台数2000万台、輸入車関税ゼロに、光ケーブル電送成功、日本初放送衛星ゆり打ち上げに成功と、日本はバブル上昇に乗り、良き時代だった。

高速時代を迎えWWⅡ前建設の工業技術院村山試験場では不向きと1961年誕生の谷田部高速試験場:一周5.5キロ/バンク角45.2度の手放し設計速度190㎞/時速192㎞ポルシェ928で筆者も実体験したが手放し走行は不安だった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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