リタヘイワースのキャデラック

コラム・特集 車屋四六

リタヘイワースと聞き、肯く人はかなりな年輩者。敗戦後、娯楽に飢えた我々を楽しませてくれた米国映画の大女優だった。
映画を見たモナコのレーニエ国王の求婚で、グレースケリーが王妃になったように、印度のマハラジャ・アガカーンの王子アリカーンの求婚で王子妃になった。

アガカーンは世界的大富豪だったから結婚式も盛大。城の庭園プールがフランスの香水で満たされたことも大きな話題になった。

モナコ王妃はおしどり夫婦だったが、残念ながら印度の方は長続きせずに終わった。そんなヘイワースがハリウッドの絶頂期に愛用したのが写真のキャデラック1953年型で、似顔絵も描かれている。

「えっこれがキャデラック?見たことない」それも道理、世界にたった一台という珍品だからだ。1953年型のシャシーをイタリアの人気カロッツェリア・ギアに送り、完成した一品製作なのだ。その名を{キャデラック62ギアクーペ}と呼ぶ。

キャデラック62ギアクーペ:カロッツェリア・ギア作

一品製作でもケネディー大統領のリンカーン、ルーズベルト大統領のパッカード、ウイルソン大統領のピアースアロー、ヒトラー総統のベンツ、毛沢東主席の紅旗、エリザベス女王のロールス、パーレビ国王のキャデラックなど国家元首のは防弾特注品である。

また、クラークゲイブルやゲイリークーパーのデューセンバーグ、グロリアスワンソンのロールス、また世界の王侯貴族金満家が特注するのは、かつては珍しいことではない。

ヘイワースは両親がダンサーの家に1918年に生まれた。12才で舞台に立ち、30年代、40年代はハリウッドのセックスシンボル。晩年は60才でアルツハイマーになり87才で死去した。

私が初めて見た作品は、41年作タイロンパワーと共演の{血と砂}。53年作ホセファーラー共演{雨に濡れた欲望}・バートランカスター&デビッドニーブン共演{旅路}アカデミー受賞作品なども見た。

53年型キャデラックには3シリーズがあり、75リムジン、高級仕立ての60S、そしてWBが短い62シリーズ。62は短いWBといっても3150㎜で全長5395×全幅2034㎜もあり、誇りのV型八気筒は5296cc・210馬力もあった。

ノーマルな62型($3995~7750)の記録には、1万4556台を販売とあるが、それとは別にシャシーのみ4台販売とあるので、その中の1台がギアに送られたのだろう。

1953年型キャデラック62シリーズ:3Aナンバーだから進駐軍兵士の車/左にジープ、右にクライスラー・プリムス、遠方にトヨペットスーパーが見える。米軍関係者は広い道路では斜め駐車が多かった。

53年というと昭和28年。NHKテレビ本放送開始。その年の日本女優の稼ぎ頭の年収は、木暮実千代857万円、美空ひばり809万円。
一方、ヘイワースの方は、終戦翌年46年のコロンビアとの契約は、年俸25万ドル/9000万円で、更に興行収入の50%を加算という、日本人には雲の上の夢のような金額差だった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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