北京のジャガーSS100

コラム・特集 車屋四六
淋しくなった東京ショーに対して、元気溌剌なのが中国ショー、2010年の北京は盛況で、世界各社の凝った展示が並ぶ中、ジャガーのブースに素晴らしいクラシック・ロードスターが一台。
優れたデザイン感覚、営業センス、経営管理、三拍子揃ったウイリアム・ライオンズの会社創業は1922年。モダンなサイドカーで成功。ダサイ大衆車を美しく衣替えさせるコーチビルドも成功。
そして31年、満を持して発表の自主開発車がショーで話題沸騰。
1000ポンド以上する高級車と同等姿のSS1が、たったの310ポンドだから大騒ぎになるのも当然だった。ランドージョイント付高級車の長いボンネットの中身が小さな六気筒というハッタリに専門家は立腹したが、大衆は「遅くても姿は立派・良いじゃないか」と受け入れたのである。
こうして連戦連勝の実績を重ねた後、ライオンズはハッタリ抜きの乗用車開発を始めた。で、登場したのがスポーツカーのSS90だった。今度は口さがない専門家も「素晴らしい」と褒めそやした。
SS90の90は、時速90マイル=144㎞出るという表明だった。当時としては満足する速さだが、ライオンズの目標は100マイル、当時それは大排気量高級車の領域だった。
36年、ロンドンのホテルに姿を現したSS100は、2664ccOHV104馬力搭載していた。勿論100を名乗るからには100マイル=160㎞で、高級スポーツカーの性能を実現したのである。
さて少し時間を戻して35年。ハッタリと馬鹿にされた二座席のSS1を四座席にしてエアサルーンと命名した四ドアサルーンを発表し、285ポンドで市場に投入している…このサルーンは、当初1Lと1.5Lだったが、追加された2.5Lは85マイルという性能を発揮して人気者に、その頃からSSジャガーと名乗り始める。
ライオンズ社長は、SS100の発表会場で来客に「値段を当てて」と白紙を渡した。1000ポンドを超える高級車にまさる姿!!ジャガーは安いという先入観?で結果の平均は630ポンドだった。
それを見て社長はニヤリ…得意げに発表した値段「385ポンド」の声に会場は感嘆の声に満ちたという。
北京のSS100は、完璧なレストアで光輝いていた…メッキのストーンガードに飾られたヘッドランプ、スポーティーなメッシュのグリル、センターロックのワイヤーホイールの姿は貫禄充分。スペアタイヤを背負う燃料タンクの後ろ姿は、当時のロードスターの典型的な姿で、一回り小型にすれば戦後一世風靡するMGのTシリーズにそっくりである。
背中の四角い部分が燃料タンク+上部にフィラーキャップ。美しいワイヤーホイールはセンターロック型。
さてSSカー会社は、WWⅡ終戦後の再出発時にジャガーカー会社と改名し、生産再開は47年。そしてSSジャガーはMK-Vに進化、SS100は48年にXK-120に生まれ変わる。
XK-120は、最高速度120マイル=192㎞クリアということ。
ウインドスクリーンを前倒すると二枚の楕円形ガラス風防が残る/四本スポーク鋳鉄製ハンドルは戦後私が乗ったMK7やXK-120にも使われていた。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支 離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格 審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち 」「懐かしの車アルバム」等々。
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