2010年の北京オートチャイナは、参加16ヶ国2100社、展示車両990台・アジア最大のショーに発展し、その会場20万㎡は東京ドーム9個分、上海の頃より格段に広くなり歩くのが大変になった。
全球首発=世界初公開車輛が89台。2009年販売台数1364万台…米国1000万台、日本460万台、かつての世界一を追い越して、世界最大市場に成長の中国に世界の車が群がる様は壮観である。
発展のテンポは速いが、中国のモータリゼイションのレベルは昭和30年代前半の日本に近い。で、発展途上時代の人気は小型だが、ハッチバックより4ドア3BOXという傾向も同じである。
今回取り上げるプジョーも例外でない。市場ニーズで207や307のハッチバックにトランクを背負わせて、という手法が通用しなくなり、308をベースにしっかりと4ドアセダンに仕上げた中国専用車として出品されていた。
ちなみにプジョーの中国進出はVWに次ぐ二番手と早く、1985年に東風汽車と合弁契約を提携している。東風はシトロエンや日産車も合弁生産しており、知人の劉文静さんの自家用車が日産中国専用車リビナなので、北京で乗せて貰ったが、良い出来だった。
嬉しいことにプジョーのブースで年代物のビクトリアを見つけた。
1894年から97年迄に18台生産された車で、未だエンジンが後部搭載だが、1901年になると前部搭載になる。
プジョーの会社創業は1897年/明治30年だから、それ以前の作で、エンジンはパナールルバッソールが輸入販売するダイムラーV型二気筒1282ccは3馬力・車重725kg・未だ燃焼効率が低く3馬力で燃費は6.2km/ℓほどだったという。ダイムラー式ホットチューブ型点火で、マグネトー点火になるのは99年から。そしてプジョーの水平対向二気筒完成が99年。
当時のプジョーはほとんどが二座席で、オーナー自らハンドルを握り操縦したが、ビクトリアは鋼管フレームを延長して後席を設置したので、プジョーのオーナーは、運転手を雇って後席で外出できるようになったのである。
ちなみにヴォアチュレットとは、フランス語で{小型の自動車}という意味である。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。