私昭和8年生まれの子供時代、恐いものの例えに「地震カミナリ火事オヤジ」…また青年時代には「一ヒメ二トラ三ダンプ」「神風タクシー」なんて云うものがあった。
昭和30年代後半、車が増えて怖いものは、女の運転(一ヒメ)、酔っ払い運転(二トラ)、ダンプカー(三ダンプ)で、側には寄るなと云われ、加えてタクシーというのが、車を運転する者には怖い相手だった。
各国に職業運転手が居るが、発展途上の日本のプロは素人を見下していた。イタリアのトラック運転手は「素人の邪魔はしないよ」、また「素人を走りやすくするのがプロだ」とはドイツのタクシー運転手…彼等はプロという職業に誇りを持っているようだ。
世の東西でプロ意識には差があるようだが、21世紀になり日本の運転手意識も上がったようで運転がおとなしくなった。が、東南アジアや中国に行くと昭和30年代の日本を想い出す。
さて昭和30年代のタクシーは、客の合図で急停車など朝メシ前、急発進・急停車、合図なくやおら急旋回、割り込み当然、警笛をならし右へ左へと戦闘機のようなハンドル捌きで走り回っていた。
当時、郊外の都市幹線道路の最高速度は最高60㎞、街中のほとんどが40㎞制限で、東京都内には都電軌条が縦横に走り、道は狭く凸凹。そんな道を警笛ならしっぱなしで時速100㎞も珍しくないというのがタクシーだった。
で、いつの間にか「神風タクシー」なる言葉が生まれたが、語源を探ると、すばしっこさで抜群のルノー4CVにたどりつく。直四OHVは21馬力しかないが、斬新モノコックボディーで640kgという軽量さで、身軽な走りは天下一品だった。
前進三速でも、1800回転でピークに達する欧州型低トルク特性で加速は抜群。四輪コイル独立懸架から生まれる路面グリップと乗り心地は悪路も何のその、身軽に走り回るタクシーは、一般ドライバーには目障り危険な存在だった。
もっとも昭和28年に登場したばかりは「早いが足が弱い」と出た苦情も、32年完全国産化完了の頃にはサスが強化されて苦情解消…そうなれば鬼に金棒とばかりに、周りの迷惑など気にせずに走り回った結果が「神風タクシー」だったのだ。
WWⅡ終戦直後フランスで誕生した4CVは、VWをひと回り小振りにした後輪駆動車で、小さな車体ながら大人四人が乗れる、合理的な傑作乗用車だった。
トラック屋の日野自動車が四輪市場進出を目論見、4CVに白羽の矢を立てた見識は見事なもので、日本登場は昭和28年/1953年。その直前輸入4CVの値段は96万円だったが、国産車では64万円に、最終的は49万円で、10年の長きにわたり、マイカー族に愛されたのである。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。