トップの写真は前方1956年型ビュイック・ロードマスターと後方1955年型オールズモビル…父の告別式のあと、火葬場に向かう霊柩車のあとを追う、父の友人達の車である。
はからずも二台の車はGM車だが、当時のGMというよりは、20世紀前半から後半まで、世界最大の自動車メーカーで、その中でも50年代から60年代初頭までは最も輝いていた時代だった。
連合国の中で唯一国土が戦場にならなかった戦勝国米国は、裕福で元気一杯、GMばかりでなく、どのアメ車も光輝いていた。
そして50年代前半までは、戦前からの名門パッカード、ハドソンやスチュードベイカ、ナッシュなどの老舗も元気だった。
世界一の生産量を誇るGMは車種豊富で、上からキャデラック、ビュイック、オールズモビル、ポンティアック、シボレーの顔ぶれ。ビュイックはキャデラックとオーバーラップするほどの高級車で年輩者指向。オールズモビルはスポーティー仕上げだった。
ビュイックは、上位からロードマスター、スーパー、センチュリー、スペシアルの4モデルがあり、どれも大型だが、特に上位2車はキャデラックと同等3226㎜のホイールベースが与えられていた。
エンジンは米国の象徴とも云うべきV型八気筒でOHV・5227cc・225馬力。トルコン主体のATダイナフローは、変速ショックがない鷹揚な乗り味が素晴らしいが、反面燃費が悪かった。
トップ写真のフェンダーの丸穴は49年に登場した飾り。下位モデルをスリーホイーラーと呼んだが、ロードマスターは四穴が誇らしかった。ラップアラウンドと呼ぶ回り込んだ前窓は54年にビュイックが初採用してから大流行し、日本ではセドリックが初。
当時ビュイック人気はたいしたもので、年間50万台、60万台という年もあり、年間一位がシボレー、二位フォードと大衆車が占める中に三位がビュイックというのだからたいしたものだった。
ビュイックの創業は1903年/明治36年。オールズモビルは1898年という老舗で、38年にはATを装備というように斬新技術採用には熱心だった。廉価版88シリーズ、そして高級な98シリーズはホイールベース3200㎜・202馬力だった。
両車装備は最先端で、パワーステアリング、パワーウインドー、パワーブレーキ、エアコン、パワーシート。ビュイックの真空管ラジオは髙出力で10インチ楕円コーンのスピーカーが迫力の音を吐き出していた。
WWⅡに勝利して約10年、世界の冨が集まったかのように見えた米国の乗用車は、周囲を圧倒する存在感に溢れ、光輝いていた。当時の日本で憧れは米国車で、ベンツの人気はなく、BMWなど知る人は少なかった。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。