ホンダ、シビックベースのスポーティスタイル 初代バラード

コラム・特集 車屋四六

コスモポリタン・25ans・ナンバー・相撲界・ブルータス・ビッグトトゥマロー・月刊マンガ・とらばーゆ・月刊リサイクル等々、脈絡もなく並べたのは雑紙名。昭和55/1980年は雑紙新刊ラッシュで、実に255誌が創刊された年だった。

ソ連アフガン侵攻で米国モスクワ五輪ボイコット宣言…米国の子分?日本も泣く泣く右へならえ。山口百恵引退、ノーパン喫茶が話題。年産1104万台で日本は世界一自動車生産国に。米国での現地生産開始、日本はバブルに向かいまっしぐら、景気は上々だった。

どこも増販には販売店が必要と多チャンネル化で新車が必要。で、80年の衣替えと新車ラッシュは…カムリ・クイント・ギャランΣ&Λ・エテルナΣ&Λ・ファミリア・ラングレー・クオーレ・レパード・MK-Ⅱ・チェイサー・ローレル・そしてバラード。

■ホンダ・バラード ワイド&ローのスポーティスタイルにインテリアの質感もプラス

バラードはホンダベルノ店向けにシビックをベースにスポーティー仕上げ。バラードはシビックの2BOXに対し3BOXで、シビックの頭上空間を少々し圧縮し外皮のプレスも変えたという、力を入れたものだった。

実質、シビックの姉妹車ではあったが、ロングノーズ・ショートデッキ、ワイド&ローの姿がスポーティー、加えて室内をフルトリムとし、シビックより高級感の演出にも精を出していた。

スポーティー感覚で仕上げられたバラードのコクピット:3ATホンダマチック仕様

ちなみにバラードとは、今でも継承される中世の音楽形式で、例えばフランクシナトラの{マイウエイ}美空ひばりの{川の流れのように}など、ゆっくりと流れる川のようなリズムを指している。

スポーティーイメージのベルノ店向けに投入のバラードスポーツCR-Xは、性格上2+2形式だった。CR-Xを含み、バラードの月販目標は3000台…結果は、80年7416台→81年1万7886台→82年1万7352台→83年1万1639台だった。

スポーティーな2+2のホンダバラードCR-X

当時ホンダは、英国BL/ブリティッシュレイランド(ローバー)にテコ入れ中だったから、バラードはトライアンフ・アクレイムと命名、英国で生産販売もされた。

ホンダのFF造りの歴史は、トヨタや日産より古く、時既に400万台。その技術実績を活かしたバラードのスポーティーな走りは、当時としては一級だった。全長4095x全幅1600x全高1350㎜・WB2320㎜・車重820kg・CVCC-Ⅱでの排ガス対策のEM型直四OHC1488ccはキャブレターで80馬力。5MTとOD付ホンダマチック3AT・60粁定置燃費25km/ℓ・10モード14.5km/ℓ・155SR13・車速感応パワーステアリング・アウタースライド型サンルーフ・チャイルドセイフ付後席ドアなど、オプションを含め装備は斬新、走れば気分の良いスポーティーセダンだった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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