私は1933年=昭和8年生まれなので、幼年期は太平洋戦争前だから現在84才。そのころ大人達は「円タクに乗るか」と云って何処かに出掛けたのを覚えている。
さて日本で客を乗せる有料自動車の誕生はかなり古く、手元の資料では明治40年で、大型6人乗り1時間7円とべらぼう料金だが、直ぐに3円ほどになったようだ。それでも明治44年頃の市電料金が4銭だから、贅沢きわまりない乗り物なのである。
明治43年頃には、1マイル小型50銭、大型1円になるが、今で云うタクシーではなく、ハイヤーのようなものだったようだ。
で、タクシーの始まりというと、1912年/大正元年に6台のT型フォードで、有楽町に開業した{タクシー自動車会社}というのが定評のようだ。
大正12年というと関東大震災が9月だから、7月開業とは震災の直前。震災で寸断された交通復旧で、東京市が手っ取り早い手段としてT型フォードでのバス運行を始めたほどだから、このタクシーの開業は、実にタイミングが良かったことになる。
いずれにしてもバス運行で利便性が立証されたせいで、タクシー業者も続々と開業するが、料金がバラバラで、客とのトラブルが問題化した。そこで、大正13年大阪で、大正15年東京で、市内1円と料金が設定された。
1円均一タクシーは、直ぐに円タクと呼ばれるようになる。
大正15年は昭和元年だから、円タクと呼ぶのは昭和ということになるが、その後料金改正後も既に代名詞化したせいで、私が子供の頃は円タクと読んでいた。
ちなみに1円時代が終わると、積算計の距離x基本料金になり、運転手が売上げをごまかすのが経営者の頭痛の種となった。その基本料金は、昭和5年に50銭/3.2粁。昭和7年に30銭に下がる。
が、昭和9年大阪で、13年に東京でタクシーメーターが登場する。その料金は、開戦の昭和16年70銭、17年80銭(木炭車時代)、そして終戦後の20年には、100円になっていた。
通称{大日本帝国}と呼ぶ四大タクシー会社の誕生は戦争中。軍主導で四社に集約で管理しやすくしたのだ。四社とは大和自動車、日本交通、帝都自動車、国際自動車を指す。
須田町神田営業所のチラシ(写真上)で、市内一円とは山手線の内側だと判る。{親切丁寧で高級車が自慢・キレイな箱形車の御用をお待ち申し上げます・圏内1台1円・雨降り夜間も割増料金は戴きません・時間貸し1時間2円・五時間以上は特別割引します}とある。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。