世界で自動車を作れる国は限られているが、それぞれ国毎に得意、不得意、特徴個性が見られるのが面白い。
自動車を発明したドイツ…ベンツは高品質の追求、BMWはスポーティー路線、オペルやフォードは量産合理化の追求。
ドイツが生んだ自動車を実用品として完成普及に努力したのがフランス。他社を気にせずウチの車がベストと個性を打ち出している。
イタリアは、フィアットのような巨大企業とは別に、少量生産の個性有る高性能車造りを得意とする。
かつて一大輸出国だったから大量生産お手のものの英国は、ロールスロイスやダイムラー、ベントレイのような一品手作り的高級車が特技である一方で、バックヤードビルダーならではの小企業が造るスポーツカーで、世界をリードした国でもあった。
一方、19世紀末から沢山生まれた企業が、フォードの流れ作業で淘汰が進み、量産の戦いを勝ち抜いた企業により、世界一の自動車生産国になったのが米国である。
さて自動車後進国の日本は、WWⅡ前量産車と云えばダットサンで、その日産はオースチン社から量産技術を学習したと推測するが、戦後もオースチンとの提携で一気に技術を学習。一方、いすゞヒルマン、日野ルノーなどの量産で技術習得、得意の知恵と工夫で世界先端に達して、海外が学ぶまでに成長したのが日本。
さて本題のスポーツカーは、WWⅡ前世界を荒らし回ったドイツは敗戦からの復興、フランスやイタリアも焦土からの復興で一休み。英国は経済再建目的の輸出奨励で、自動車産業は息を吹き返した。
息を吹き返したのは小さなスポーツカー会社もだが、それに跳びついたのが、欧州駐留の米軍兵士や軍属で、仲間が増えると競争を始め、帰国時には本国に持ち帰った。
やがて本国でも数が増え、ジムカーナやレースが各地で開催されると、見物客が「こいつは面白そう」と興味を持ち、本格的輸入が始まり、やがて米国はスポーツカーの一大消費地となる。
そこで「俺たちのスポーツカーが無いじゃないか」気が付く米人。また売れる市場があるのに指をくわえている事はないと気が付くメーカー。ということで53年GMからスポーツカーの登場である。
登場したコルベットは、直六OHV3860cc/150馬力でFRPボディーが斬新で、試験的に300台が投入されたが好評で64年から本格販売、3640台を売り切った。55年V8・4340cc・195馬力を追加、56年からはV8一本槍に絞られる。
コルベットの好評で現れた二匹目の泥鰌は、55年登場のフォード・サンダーバード。が、純スポーツカー狙いのGMに対しフォードは利益追求で、直ぐに四座席のスポーティーカーに転向する。
日本で有名になったのはTVドラマ{ルート66}。シカゴからロスまでドタバタを続けながらの主人公が、ジョージマハリスとコルベットのコンビだった。
後に俳優で活躍する人気ウエスタン歌手小坂一也が乗り回し、所ジョージは今でも乗っているようだ。