【車屋四六】日本マイカー時代の幕開け①

コラム・特集 車屋四六

1960年代初頭バンド結成→人気上昇→解散したビートルズから、60年代をビールズエイジと呼ぶ。人気絶頂のビートルズ来日は66年6月。事故防止で武道館公演に動員された警官6400人…こいつを70年安保闘争警備の予行演習だったという人も居る。

そんなビートルズで日本のグループサウンズ/GSに火が点いた。
♪いつまでも/ザ・サベージ♪想い出の渚/ワイルドワンズ♪夕日が泣いているのザ・スパイダースはミリタリールックで、かまやつひろし・堺正章・井上順・田辺昭知・井上尭之などの人気はたいしたものだった。

そんな66年/昭和41年、突如日本に大衆車時代の幕が開く…待望のマイカー時代到来だった。それは4月日産サニー登場で始まり、11月トヨタのカローラ登場で更に加速した。

ちなみに、当時リッターカー市場の顔ぶれは、三菱コルト、スバル1000、ダイハツベルリーナ、マツダファミリアなどだったが、マイカー時代の幕を開くだけの力はなかった。

話変わって、スズキが軽自動車初量産体制でスズライトフロンテを発売、ライバルも登場したが、中途半端な軽では大衆車とは認知されなかったが、これが幕開けの踏台になったことは確かだ。

当時、日産、トヨタの軽自動車観は「自動車市場に参入する企業の踏台的存在で大企業が取り組むものではない」…で、トヨタは軽を上回る性能、量産効果で軽より安く、そして輸出も考慮して開発したのがパブリカだった。

61年に登場したパブリカは、月販目標1万台で軽より安価な38.1万円を実現したが、目論見通りにはいかなかった。大衆に車は夢、夢には贅沢が必要なのに、質実剛健のパブリカにはそれが欠けていたのだ。で、後半DXを追加して、少々だが人気を回復した。

時節到来、66年4月、大衆車を待つ市場に登場したサニーは、人気上昇売り上げを伸ばした。サニーの仮想敵はパブリカだったから勝利は当然だったが、カローラ開発中の長谷川龍雄は、サニーを見て「勝った」と思ったそうだ…サニーには贅沢がなかったからだ。

サニークーペ:当時のスポーティームードに沿って登場したクーペモデル/コラムシフトはフロアシフトに変更

サニーは仮想敵のパブリカなら完勝しただろうが、相手は11月登場のカローラ…パブリカで学習した贅沢が盛り込まれていた。
こいつは、江戸の仇を長崎で討たれたことになる…仮想敵ダットサンで開発したコロナが登場したら、敵はブルーバードで惨敗ということの裏返しだったのである。

が、サニーは負け犬ではない。カローラに首位の座は明け渡したが、ベストセラーとして、日産の太い屋台骨になったことは間違いのない事実である。

第五回日本ベストドライバーコンテストで優勝/グッドイヤー社からの表彰状

サニーには良い想い出が一杯。日本ベストドライバーズコンテストに優勝、66年度の日本一運転手の栄冠を手にしたからだ…サニーの軽快な運動性能は抜群。ラリー中秩父山中の林道曲折路では、ベレットGTやスカGにも負けなかったし、見切りの良いハンドリングでジムカーナでは他を寄せ付けなかった。

後日、両車を並べてみると、無駄を削ぎ落とし軽量高性能なサニーに対して、カローラには今で云う自動車らしさがあり、ユーザーはその方を認めたのである。
が、いずれにしても、この両車が登場して、日本のマイカー時代の幕が上がったことは間違いのない事実である。

 

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