1989年=昭和64年=平成元年。天皇崩御での年号改正で、昭和は僅か7日間だった。激動の昭和が終了した年、昭和を代表する大歌手美空ひばりも52才の若さで逝った。
当時はバブル絶頂期、好景気が永遠に続くと思い込んだ日本中が贅沢三昧、自動車業界も行けいけドンドン、マツダも元気一杯で、増やした販売系列はトヨタと同じ5チャンネルに。
ユーノス・ペルソナ・クロノス・カペラ・ファミリア・サバンナRX-7・アンフィニMPV&RX-7・ユーノスコスモ・ユーノス300&100・ユーノスロードスター・オートザムAZ-3&レビュー&キャロル・フェスティバ・レーザー、驚く車種の多さとなった。
そのファミリアの家族なのに、似ても似つかぬアスティナと呼ぶ車種を覚えているだろうか。77年FFファミリアが登場、89年2月に四代目誕生して、4月に派生したのがアスティナだった。(写真トップ:アスティナ1800ハッチバック/小田原漁港:ポップアップ型ヘッドライト・テイルはフィン状)
ファミリアは、スリードアとファイブドアという車種構成だが、アスティナはお洒落なファイブドア・ハッチバックのみだった。
報道試乗会は大磯プリンスホテルで、小田原漁港で撮ったアスティナとファミリアだが、兄弟車種とは思えぬ相違である。
試乗車アスティナは1800・全長4260㎜、全幅1675㎜・全高1350㎜・WB2500㎜・車重1090kg。
BP型エンジンは直四DOHC16バルブ・ボアストローク83×85㎜、出力指向オーバースクエア型・電子制御燃料噴射・圧縮比9・135馬力/7000回転・16kg-m/4500回転・5MT/4AT・四輪ディスクブレーキで前輪は通風型・タイヤ185/60R13-82H。
走りの味は少々硬め、スポーツカーテイストに仕上げ、ステア時の反応もクイック、コーナリングはロールが少なく、リアサスの食いつきもなかなかと、当時のメモにある。
マツダデザインの総元締めの岡田さんは、新しいファミリアの開発は、このアスティナで始まったと語る。その切っ掛けがヨーロッパで見たボブスレーだったと付け加える。
死に物狂いで氷りの溝を滑り降りる、というよりは掛け落ちると云った方がよいか、あのソリレースの橇である。
こうして誕生したアスティナの姿は、風をはねのけて突き進むウエッジシェイプ、低いボンネット先端から徐々に高さ増すハッチバック姿にまとめたと語った。
インテリアもファミリアとはかなり異なり、座ってみると闘争心が湧いてくるのだが、比較的高い着座なので、女性も気軽に乗れそう、云うなれば家族で使えるスポーティーカー、バブルで生まれた欲張りなスポーティーカーという印象だった。