「女には前と後ろがある」というTV・CMを見たのは1979年だった。それ何?と思ったら世界初のフロントブラとやつで、それまで後ろだった金具が前になり、着脱が楽になったというのだ。
それで男共の中にも{楽になった}と喜んでいる奴が居たが。
同じ年、日本初いや世界初が他にもあった。袋を破り手で揉めば暖かくなるという{ホカロン}だが、新しい熱源の利用技術では、日本の自動車業界でも新技術が登場している。
米国議会でマスキー法・排ガス規制が成立したせいで、世界の自動車業界にテンヤワンヤの時代が到来したが、そこで世界に先駆けて奮起したのが日本自動車業界だった。
排気ガス環流、サーマルリアクター、触媒、あらゆる方面から研究を続け、着々と技術を蓄積、世界をリードしていった。
が、排気ガスが綺麗になるのとは裏腹に、エンジン出力が低下するという困った事態に遭遇したのである。
で、とりあえず燃焼効率の向上に工夫を重ねることで、キャブレターが電子制御燃料噴射になり、安い車にもDOHCを搭載するようになったりした。それでもパワーダウンは避けられず、困ったというところに登場したのが、ターボチャージャーだった。
1979年6月、日本初のターボ搭載車登場は、日産セドリック・グロリアだが、日本でナンバーワンのトヨタは先陣争いのエンジンでは一歩遅れ、80年10月になってようやく登場した。
搭載車は、79年9月フルモデルチェンジのクラウンだった。
ちなみに79年という年は、第二次石油ショックで、ガソリンスタンドが日曜休業になったりしたが、新車登場は元気で、シルビア&ガゼール、カローラ&スプリンター、ランサーEX、スズキフロンテ、レオーネ、ブルーバードなどが衣替えした。
写真トップは、クラウン2000スーパーサルーン。その心臓M-TU型は直列六気筒OHCで1988cc、EFI/電子制御燃料噴射で125馬力/6000回転、17kg-m/4400回転だった。
が、ターボ仕様のM-TEUは、145馬力/6000回転、21.5kg-m/3000回転と強力に。馬力での20馬力もさることながら、4.5kg-m増えたトルクのピークが1400回転も下がった効果で、加速感に見事な差を感じたものだった。