ミシュランとミシュランガイド

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日本でミシュランの知名度が高いのは、一億総グルメ、例のレッドガイドブックのせいだろう。ミシュラン兄弟が自動車旅行時代到来を予測しての創刊は1900年。そしてアジア初発刊が{世界一美食の街}との誉れ高い東京2008年版である。

アジア初登場ミシュラン・レッドガイドブックは東京編:2007年/平成19年12月末、東京のホテルのガイドブック発売記念パーティーで貰った初版本(¥2310)。

2005年にBSに抜かれて世界二位になったミシュランだが、かつては「自動車はタイヤの一部品過ぎない」と豪語、自信のほどを見せていた。1949年世界初のラジアルタイヤを開発発売。

タイヤ会社としての創立は1889年/明治22年という老舗。先見の明に優れる兄弟は、自動車用空気入りタイヤの実用化に成功、早速1895年/明治28年のパリ∽ボルドー間往復1178kmレースに出場…車はダイムラー、運転はアンドレ・ミシュラン。
残念ながら結果は散々…大量に予備チューブを搭載した予測通り、20回以上のパンク修理に時間を費やして、規定時間内ゴールを果たせなかったのだ。が、翌年のレースでは、参加車のほとんどがミシュラン空気入りタイヤを履いていた。

で、本格的製造販売が始まるが、宣伝にも力を入れ、そのポスター第一作がビバンダムの名を生み出した。絵の上部赤い文字はラテン語で{ヌンク・エスト・ビバンダム}=今こそ飲み干すとき。

ミシュラン空気入りポスターの第一作/1895年/明治28年:PUNEU=タイヤ、BOIT=飲む、L’OBSTACLE=障害、Votre Sante=皆さん乾杯。

掲げたグラスには釘やガラス片、こいつらを飲み込んでも車は安全というのだ。
実は、この絵は売れなかったビール会社のを流用したもの。まだ駆け出し時代のミシュラン、馬鹿にされたものである。
たぶん原画は太っちょオジサンがジョッキを掲げていたのだろう。

が、人形の方は、積み上げたタイヤがヒントだったようで、それに手足や頭を付ければ人の形になるだろうという、ミシュラン兄弟のユーモアある発想もあったようだ。

いずれにしてもビバンダムは世界最古のトレードマークと云われており、{ビブ}とか{ムッシュビバンダム}などと愛称で呼ばれたりもしている。
またタイヤはカーボン混入のゴム製だから黒のはずなのに、なぜ白い?という疑問もあるが、当時の自動車は金満家の高価な遊び道具だから、部品のタイヤも高価で、一本一本ていねいに白い紙や布で包装されていたからだったと聞いた。

19世紀にレース参加をした程のミシュランらしく、その後も現在までオートスポーツには熱心で、古くはルマン24時間やF1、現在でもパリダカ、WEC、WRC、IMSA、モトGPなどにタイヤ供給をしている。

ルネ・ビンセントのポスター/1914年:ジャッキアップしてタイヤ交換をするジャケット姿のオーナーは金満家。車上の婦人のコートは毛皮。帽子被り洒落た着物の子供達の靴は高価なエナメル靴。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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