【車屋四六】ローレル1984年型

コラム・特集 車屋四六

小指を立てて「私はこれで会社を辞めました」→{禁演パイポ}のCMが話題になった1984年、珍獣ブームが起きた。
発端は三菱ミラージュの、なんとも可愛い、いやかわいそう?な必死に走る{エリマキトカゲ}のTVCMからだった。

必死に走るエリマキトカゲはミラージュの宣伝用下敷き

84年=昭和59年頃の日本は、バブル景気急上昇の最中で、運転免許証所持者が5000万人を超え、三菱の欧州現地生産も始まった頃に登場したのがエリマキトカゲだった。

さて登場したローレル五代目は、バブル景気を象徴したかのように、ハリウッド高級住宅街ビバリーヒルズが背景だった。
写真2ℓターボ・メダリストは240万円という高額車…日産のお家芸、Bピラーなしのフォードア完全ハードトップが美しかった。ちなみにトヨタハードトップは見つからぬようBピラーを隠していた。

ビバリーヒルズの豪邸を背景にローレルV20メダリスト・フォードアハードトップ

そもそもローレルという車種は、ブルーバードとセドリックの間を埋める、裕福オーナー向けに開発されて、68年に誕生したが、その目的は、トヨタのコロナMK-IIと同じだった。

初代ローレルは1.8ℓで74.8万円、71年2ℓを追加。72年二代目に進化、2ℓSGL4MT/94.5万円・パワーステアリングが自慢だった。
77年三代目で2.8ℓが登場、好景気に並行して上級指向が高まり、28SSGL5MTの価格は197.6万円に。

空力追求が特徴の四代目登場は80年。豪華な2.8ℓメダリストATは240万円に。目玉は、柱がない完全ハードトップ。この形式は米国からの流行で、ベンツさえ巨大な300から柱を取り去った。

さて五代目は一転空力ボディー無視、Cd値など何処へやら、角張った姿に豹変した。角張った姿は、大きくゴージャスに見えるからだったのだろう。
長年、日産の看板だった直列六気筒L型が、V型六気筒に変わったのも五代目からで、ターボで加速も良好だった。

昭和50年代は排気ガス対策で苦労の時代、各社軒並み出力低下の解決策に頭を悩ましていた。で、日産はターボで解決を図った。
そのVG20ETはOHC電子制御燃料噴射で170ps6000rpm/22kg-m/4000rpmで低回転からのトルクの強さを強調していた。

余談になるが、84年日産から日本製VWサンタナが売り出された。この提携で日産はドイツ流サス技術と乗用車用高速ディーゼル技術学習が目的、VWは日産の電子技術と量産工場のノウハウという、知りたい利害が一致したからと聞いている…当時の日産の電子技術はドイツ人も知りたいほど高かったのだ。

ローレルは89年に六代目になるが、裕福層に好まれたローレルも時流から外れ、8代目を最後に、2003年にティアナとして生まれ変わるのである。

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