【車屋四六】 日光老舗旅館に集結した憧れの車たち
奥日光の板屋は、輪王寺から湯守に定められた250年を誇る老舗旅館。其処の息子大類君が慶応の後輩なので、昭和20年代後半に同級の富澤康夫と泊まりに行ったのが最初だった。 その後も何度か訪れたが、卒業してからのある日、旅館に […]
続きを読む奥日光の板屋は、輪王寺から湯守に定められた250年を誇る老舗旅館。其処の息子大類君が慶応の後輩なので、昭和20年代後半に同級の富澤康夫と泊まりに行ったのが最初だった。 その後も何度か訪れたが、卒業してからのある日、旅館に […]
続きを読む1980年、ついに日本は世界一の自動車生産国になった。 敗戦後の生産量ゼロからの出発のあと、わずか35年で世界で一番に、日本人の勤勉努力の賜物である。 戦争中、乗用車の生産は日産とトヨタの軍向けだけで、ダットサンは小型自 […]
続きを読む1983年度の流行語{オシンドローム}の語源はNHK朝ドラ{おしん}。TV最高視聴率60%強を記録した橋田壽賀子原作…小林綾子→田中裕子→乙羽信子と引き継がれたヒロイン三代の奮闘記は、今でも全世界で放映される傑作ドラマと […]
続きを読む1980年代の三菱は元気一杯だった。クライスラーと合弁してダイアモンドスター社設立→米国現地生産、マレーシア・プロトン社で現地生産、ベンツと提携、韓国現代自動車に技術供与、等々。 ギャランの日本カーofザイヤー受賞には私 […]
続きを読む小指を立てて「私はこれで会社を辞めました」→{禁演パイポ}のCMが話題になった1984年、珍獣ブームが起きた。 発端は三菱ミラージュの、なんとも可愛い、いやかわいそう?な必死に走る{エリマキトカゲ}のTVCMからだった。 […]
続きを読む1984年/昭和59年1月26日発行の週間文春{疑惑の銃弾}で火が点いた話題が大報道合戦に発展…妻がロスで撃たれ植物人間になり、一年後に死亡して一度は世間から忘れられた事件が{保険金1億5000万円を夫が…}という見出し […]
続きを読む1952年の300誕生で高級車メーカーの地位を取戻したベンツは、57年に米国市場のハードトップ流行に合わせて、側面のシックスライト全ての柱を取去り、これぞ完璧というハードトップに変身した…そして燃料噴射になったエンジンは […]
続きを読むヤナセが輸入を始めた1953年頃のベンツは、一部戦前からの愛好者を除き知名度が無かった。当時日本人が憧れた外国車は、大きく派手なアメリカ製乗用車だった。 あの頃は、アメ車なら何でも高級だった日本だが、ステイタスさで圧倒的 […]
続きを読む乗用車開発で避けて通れない課題が空力…いわゆるCd値というやつ。Cd=0.3前後で胸を張ったのは20世紀中、現在では0.2の領域で争っている。ちなみにジャンボジェットは0.1だ。 空力重視の最先端は飛行機だが、乗用車と共 […]
続きを読む8月に大幅なマイナーチェンジが実施されたスバル・レヴォーグ。先日はクローズトコースで動力性能の一端を見ることができたが、今回は主に都内の首都高速を試乗し、注目の新機能「アイサイト・ツーリングアシスト」の性能を体感する機会 […]
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