1989年フランクフルト自動車ショーで2台のロードスターに注目が。ポルシェカレラ・スピードスターとBMW・Z1。
89年=昭和64年は、昭和がたった7日間、1月7日から平成になった。87才で昭和天皇崩御が原因だが、民間では手塚治虫と美空ひばりが逝った年でもある。
気になるZ1は、すぐに日本を走り出した。佐藤健司がドイツで買い持ち帰ったのだ。彼はAJAJ/日本自動車ジャーナリスト協会、RJC/自動車研究者ジャーナリスト協会会員だが、英語が達者な貿易商が本業だから、個人輸入も簡単だったのだろう。
写真トップの運転席のサングラスが通称ケン坊で、足立の仮ナンバーだから未だ登録前、後方に写るエスティマで、90年6月箱根ハイランドホテルで開催の報道試乗会に自慢げに乗ってきたことが判る。
ケン坊は、先祖代々の浅草ッ子で慶大自動車部OBのハイカラ男。鈴鹿の日本初GPでは競技規則を作成、SCCJ=日本スポーツカークラブ創設時からの重鎮、等々日本のモータースポーツを育てた功労者でもある…惜しくも2004年に癌で旅立ち、チャキチャキ乱暴な江戸弁が聴けなくなった。
Z1を、日本の路上で見ることは滅多にない。1日の生産量が6台と云うから手作りに近く、当然高価だから乗る人が少ないのだ。
全長3921㎜、全幅1690㎜、車重1250kg。二座席。直六OHC・2494cc・170馬力。5MT。FR。前輪ストラット+コイルスプリング/後輪トレーリングアーム+コイルスプリング。四輪通風型ディスクブレーキ。タイヤ225/45VR16。
最高速度225㎞。ゼロ100加速=7.9秒だが、Z1の醍醐味は速さではなく、希少価値と機構の面白さだ。剛性十分な車体にアウターパネルをプラスチックの自由な造形が特徴。
開閉ボタンを押すと、電動でガラスが下がり、更にドアも下がり、乗降が楽になる。幌の開閉は手動で、ボディー後部に綺麗に収納され、ドアを下げたままでの走行も可能だ。
前述の面白さはともかく、スポーツカーとしても一流で、クローズド時の空気抵抗係数はCd=0.36と優れ、フロントアクスル後方にエンジン搭載で、前後荷重配分が49対51と、ミドシップレーシングカー同様な、理想的配分の持ち主でもある。
大磯のエスティマ試乗会は午前中、午後はヤナセの箱根観光ホテルでのピアッツァ試乗会なので「ちょっと運転させろよ」と私がハンドルを握らせて貰った。
感想は、バケットシートのホールド性が良く、乗り心地が予想外に良い、パワーステアリングが少々重くモ少し軽い方がと思った記憶がある。また反応良く回頭するのは素晴らしいが、一瞬遅れて感じる横Gの違和感が気になったと当時メモしている。
ドア下げ状態で路上から物が拾えるほどの着座姿勢のオープンエアモータリングは、一種格別の感があったが、スピーカーから、ケン坊大好きなハワイアンがガンガン鳴っていたのが懐かしい。