帆船時代に七つの海を制覇、世界中に植民地のあるスペインも、20世紀に入り内戦などで力を失い、今の自動車の印象は後進国としか云いようがないが、かつては一流だった時代もある。
スペインの銀行家とスイスの技師のコンビがバルセロナにイスパノスイザを創業したのが1904年。ちなみにイスパノ=スペイン、スイザ=スイスと受け取ればよい。
早速、スペイン王室お買い上げというのだから、超が付く高級車だった。この会社兵器生産でも有名で、航空エンジン、また20㎜機関砲は世界の軍隊が愛用した。
WWⅡが終わった頃、乗用車生産国としては、これで一巻の終わりかと思ったら、突如復活したのがスポーツカー、それも沢山売れる見込みのない高級車だった。
1951年のパリサロンに、ペガソの名で登場した時、観客は先ず美しい姿に見惚れ、高性能と高価格で、超高級スポーツカーだと認識させられた。その流麗な姿と高価格は、顧客の好みで各国有名カロッツェリアに注文ということで、誰もが納得したのである。
昔の超高級車と同じ手法で、一台毎にカロッツェリアに注文というのだから、高い値段も一台毎に違うのだが、大ざっぱに1万ドル以上と云われた。大量生産の代表選手ではあるが1000ドルのシボレーなら10台以上買える値段である。
が、1万ドルで感心してはいられなかった…ニューヨーク・ショー登場のペガソは、メッキ部分が金張りで、革張りシートが何とミンクだったのである…もちろん値段も飛びきり、5万ドルの表示に観客は目を見張った。
ペガソの基本的寸法は、全長4100㎜、全幅1600㎜、WB2340㎜。車重1トン前後。100ℓという大型燃料タンクも話題になった。
新設計のエンジンは、V型8気筒で、当時斬新なDOHCで、2472ccから160馬力を絞り出していた。
後 に、2800cc170馬力も追加登場、英国ルーツ社のスーパーチャージャー装備の280馬力も登場させている。
当時 、走れば最高と誰もが認めたマセラティやフェラーリ、アストンマーチンにも性能で引けを取らなかったが、ペガソの目標は、そんな先輩達に勝つことではなかった。
世界一の経済大国の世界最大のスポーツカー市場で、ほんの一握りの超金持ちのスポーツカーマニアを標的に、開発した車だったのである。
今日ペガソは貴重なコレクターアイテムになっている。その原因は、生産量が少ないから現存数も少ないという当然の結果だった。
ちなみに、その数は、ミラノのカロッツェリア・ツーリング架装42台、フランスのソーチック架装18台、バルセロナのセラ架装が20台などを含めて、1958年までの総量がわずかに125台というのだから、まれにしか市場に出ない貴重車なのである。