ホンダNⅢ云っても想い出さない人、想い出せない人も居る。私自身印象が薄い車だから存在感に乏しいのだろう。
その理由は、軽自動車史上に一大旋風を巻き起こしたホンダN360と、ホンダ軽最後の傑作ホンダライフとの狭間に挟まれたことと、生産台数が少なかったからだろう。
昭和42年=67年に登場、アレヨという間にスバル360の王座を奪ったN360は、69年にマイナーチェンジするも、立ち直ったライバル達の猛攻に遭い旗色悪く、やむなくフルモデルチェンジして、NⅢ誕生ということになる。
が、フルモデルチェンジとはいうものの、基本的にはN360で、見た目にボンネットとラジェーターグリルを一新したようなお座なりな変化にすぎなかった。
スバル360、N360、その他改革が進むライバル達の活躍で、既に目が越えた軽ユーザーには物足りない新型だったようだ。
今にして思えば、登場すれば再び軽市場に君臨するライフの開発が最終段階にあり、NⅢは時間稼ぎのピンチヒッター的存在だったのかもしれない。
というのもNⅢ登場は70年1月、ライフ登場が71年6月だから僅か1年6ヶ月という短命さ。フルモデルチェンジした車が、一年半でバトンタッチというのは異例である。
だからNⅢは、N360のフェイスリフト三回目の車と考えれば納得がいくだろう。
もちろん内容にも少しの進化はある。N360で話題提供の有名な変速機が、例のコンスタントメッシュ方式から常識的四速フルシンクロメッシュに。が、インパネから突きだした独特なシフトレバーは相変わらずだった。
相変わらずの脱線話だが、NⅢ登場の70年は新型車の当たり年。順に並べると、サニー、コロナ、ホンダ1300クーペ、ファミリアプレスト、フェローMAX、カローラ&スプリンター、カペラ、スバルff-1・1300G、チェリー、ホンダZ、フロンテ360、ギャランGTO、セリカ、カリーナ。
日本が発展途上の70年、マイカーが四所帯に一台に。交通事故史上最大を記録するも世の中景気上々。カーラジオからは♪知床旅情♪今日でお別れ♪走れコータロー♪などが流れている頃だった。
余談の続き:N360誕生後一年半ほどでホンダN600登場。ヨーロッパ輸出モデルで直列二気筒OHC598cc・43馬力/5.2kg-m・最高速度130粁の俊足を誇った。こいつはホンダ初の小型乗用車、登録車でもある。
二輪技術からの驚異的高回転で360ccから31馬力を絞出し、115km/hを誇り、軽業界の馬力競争に火を点けたホンダだったが、突然NⅢに発想を転換した新シリーズのタウンを追加した。
こともあろうにエンジン出力を低下させたのである。27馬力/3kg-mというように。馬力重視から走りやすさへの転換で、最高速優先から、街乗り速度での使い勝手重視に転換したのだ。
で「街乗りがらくになるよ」ということからのネーミングで“タウン”。サスペンションも、それに見合うソフト指向で、たしかに乗りやすくなり乗り心地も良くなった。
と思っていたら、この新しいポリシーは、ライフを出すための前触れ、または手応え調査だったようである。
登場したライフは、乗り心地よく、のんびりドライブ向きの優れものだった。が、ホンダはNⅢをベースに対照的なホンダZを開発するのだから、完全に心機一転したわけではなかったのだ。
二輪&四輪で世界制覇、本田宗一郎が牽引した当時のホンダという会社“三つ子のたましい百までも”まさにそれである。