【車屋四六】ローバー一族生き残りの戦い

コラム・特集 車屋四六

第二次世界大戦=WWⅡを挟み、戦前戦後、ローバーのイメージは高級だった。そして50年代以降からの世界的淘汰の嵐の中でも、吸収合併を繰り返しならが、強かに生き延びていく。

そもそも1905年創業、英国きっての老舗だが、WWⅠ、WWⅡを乗り越えて、高級感を確立し、世間では“ミニロールスロイス”とさえ云われるようになる。

WWⅡ後に開発されたジープに範を置く、クロスカントリー型ランドローバーも高品質で信頼感を育て、レンジローバーに発展、こちらも“砂漠のロールスロイス”の異名を生んだ。

が、その後淘汰を繰り返す英国業界の波には勝てず、ブリティッシュレイランド(オースチン、モーリス、ウーズレイ、ライレイ、スタンダード、トラインアンフ)の軍門に下るが、ブランドとしては相変わらずの信頼感で生き続けた。

が、強かなローバー社にも不況の波がのしかかる。で、ホンダとの提携で斬新技術を習得しながら頑張るが、ある日突然、BMWに身売りしてしまった。

表沙汰にはならなかったが、何の相談もなくいきなりの別離に、ホンダが不快の念に駆られたのはもちろんである。何か事情があったのだろうが、英国紳士も地に落ちたものだと思った。

さて、BMWでどう再生するかは興味だったが、突然、解体して売りさばいたので驚いた。ミニをBMWに残し、ランドローバーはフォードに、そして残るローバーのブランドを英国投資家グループに僅か10ポンドで売り渡した。が、いずれという将来のためか、BMWはローバー、ライレイ、トライアンフの商標権は所有したまま。

が、それから先も波瀾万丈が待っている。今度は不況に陥ったフォードが、ランドローバーにジャガー/ダイムラーを付けて、インドの財閥タタに嫁に出す。

一方、英国に出戻りのローバーは、MGローバーの名で再出発するが軌道には乗れず、中国上海汽車に縁談を持ちかけるが、一部権利を残したフォードの拒否権行使で破談となる。

もっとも破談になっても既に権利譲渡が済んでいたのか、上海汽車はローバー75の工場と知的財産権を得て、栄威75の名で発売、さらに発展しようとしている。ちなみにローバー75のベースはホンダの置き土産のはず。

栄威・上海

さて、上海汽車との話が破談になったあと、今度は南京汽車と再婚するが、現在南京汽車はローバー名の車は生産していないから、ついに伝統ローバーのブランド名は消滅する。

が、南京汽車はMGの商標製造権は譲り受けたようで、現在MGの名を冠した自動車を製造販売している。ちなみに、現在ローバーの商標権は、タタの所有になっているようだ。

とにかく、商標権、製造権、工場、従業員、多くの資産をBMWとフォードは、不可解に分解、切り売りをしたものである。ホンダの傘下に入っていれば、ローバー一族は別れ別れにならずに存続できたのではないかと思っている。

私も高級車に憧れて、1953年型のローバー65とダイムラー・コンケストをマイカーにしたことがあるが、良き時代の英国を十分に堪能することが出来た。

ミニロールスロイスと云われた高品質高級感は、P5型辺りまでで、63年登場のP6型からは、頑固な英国気質が消えて流行に媚びる姿になり、インテリアからも英国の伝統が消えてしまった。

“栄枯盛衰は世の習い”と云うように、昔の高級なローバーは消えてしまったが、これも致し方なかろう。でも、私のような年寄りには、ミニロールスロイスを実感として想い出せる幸せがある。

MG・南京