近頃のアメリカは、走り屋にはつまらぬ国になった。あの広大な大陸、地平線から地平線まで延々と続く道路を、時速50マイル(80㎞)で走っていたのでは、それこそ日が暮れてしまう。
が、昔は、ビュンビュンと走ることができた。
せっかちな日本人旅行者としてはイライラが募るばかりだ。馴れた日本なら気をつけようもあるが、馴れないアメリカでは、オカミの目をかいくぐり、ちょっと失礼とばかりにスピードを上げるには、リスクが大きすぎる。
ちなみに、スピード違反をして帰国した友人は「警視庁に呼び出され渡された紙には小切手で罰金を郵送するか裁判所に出頭のこと」と書いてあったそうだ。帰ってしまえばそれまでよ、は通じない。
後ろから追尾という正攻法なら我々の鍛え上げた技でかいくぐれるとしても、対向車線からレーダー測定でやおらUターン。陸橋や丘の上からレーダー波を飛ばしてくるなどは気がつきようがない。
パトカーに捕まり、測られたはずもなしと抗議したら「あそこで測った」と指さす方を見上げると、警察のヘリコプターが飛んでいた、と悔しがる友人も居た。
「昔は良かった」は年寄りの決まり文句だが、グランドキャニオン入り口前の記念写真(左)は、レンタカーのシボレー・ベルエア・ハードトップV8で58年型。安い直6ではなく高いV8を借りたのは見栄を張ったのではない。馬力が大きいから、スピードが出るからである。
58年頃のアメリカ車は“大きいことは良いことだ”で、元々大きなズー体が、更にホイールベースを伸ばし、全長全幅を拡大、もちろん馬力も向上しながら、各車、各社が競い合っていた時代だった。
大衆車のシボレーでさえ、58年型ではホイールベースが2875㎜から2937㎜に増大。当時、直6ではアクセル全開で90マイル台(145㎞)だが、V8なら100マイル台(160㎞)に跳ね上がる。で、高い値段には目をつぶってV8を、だったのだ。
ある日、100マイルで巡航中、左側をスーッと追い越す車を見たら、なんと背中が曲がった婆さんだった。が、車を見るとキャデラック。というように、自動車というものは、高級、中級、大衆車は格式だけではなく、性能でも格差があり、払った金額なりにオーナーに還元されるのだと気がついた。
アメリカの自動車拡大競争は戦後が一段落した50年代半ばから始まった。70年頃になると、高級なキャデラックなど、ついに8ℓ400馬力にもなるのである。
もっとも、大衆車のシボレーでさえ、スポーティーモデルでは5840cc335馬力V8などが登場する。その時代のシボレーの車種構成は下位から、デルレイ→ビスケイン→ベルエア→インパラだった。
最廉価版デルレイ・ツードアセダンは2000ドル。写真のベルエアV8フォードアハードトップが2600ドルほどだった。
エンジンはV8OHVで4528cc、圧縮比8.5で185ps/4600rpm。更に大馬力希望者には、300馬力をオプションすることができた。ちなみに直6の方は145馬力だった。
アメリカで始まったフォードア・ハードトップはピラーレスの本物。シボレーでは、前後のウインドーが側面まで回り込んで、ジェット戦闘機のキャノピーを演出していた。が、50年代に流行った垂直尾翼風テイルフィンは、演出をし尽くしたようで、水平方向に寝て丸く膨らんでいるのが興味を引く。
50年代から60年代半ばまでの15年間ほどのアメリカ車は、全世界の富が集まったかのように輝いていた。大衆車でさえ、こんなに立派だったが、やがてベトナム戦争の泥沼にはまり込みながら、車の品質もデザインも低下していった。
世界一の自動車は、アメリカ車と思い込んでいた日本人の概念が変わり、アメリカ車離れが始まるのも、それに同調していた。