【車屋四六】バイク天国について考える

コラム・特集 車屋四六

昭和20年代、日本はバイク天国だった。天国というと楽天地を連想するが、敗戦の痛手から立ちなおろうと国中がもがいている頃。便利な自動車は極少なく、結局、庶民の足は自転車、物流も自転車。そして自転車に原動機が付き、スピーディーに動けるようになる。

その始まりは戦時中の小型原動機での改造自転車だった。やがて自転車用原動機を開発。ホンダ、スズキのルーツも、それだった。他にブリヂストン、アサヒ、タス、サンライトなど、多くのメーカーが記憶に残る。

原動機付き自転車の次は、当然オートバイだが、誰もが乗りやすいスクーターも登場して一世を風靡する。が、昭和30年代に入り戦後の混乱が一段落すると、100社以上もあった2輪メーカーが淘汰時代を迎え、やがてホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキ、四社が生き残り、ホンダとスズキは自動車メーカーに発展する。

が、2輪は消滅せずに、生活必需品から、手軽で便利な乗り物、楽しい乗り物として生き残る。高度成長の末にそんな状況に到達した日本だが、これからそんな時代を迎える国もある。

現在バイク天国のベトナムでは”ホンダ”がバイクの代名詞になっているそうだ。中国は上海、北京など大都市なら自動車渋滞が始まっているが、一歩外へ出れば自転車天国、バイク天国で、3輪バイクタクシーも元気に走っている。

北京の3輪タクシー:こいつはアルミボディーの上等品。通常はもっと汚く幌製も沢山。よく行くタイも3輪タクシー天国だ

3輪タクシーが謳歌しているのはタイだが、バンコクでは自動車渋滞と排気ガスでの困惑状態に頭を悩ましているようだ。80年代の台北もバイク天国で、3~4人家族が乗るバイクを見た。

発展途上時代の国では、自転車、更にバイクは高価な乗り物。だから如何に上手に使うかと知恵を発揮する。バイクに夫婦と3人の子供などは当然で、山のような荷のリヤカーをバイクで牽き、また荷台をサイドに付けた3輪車で驚く程の長尺物の運搬をする。

日本の場合は戦争に負けたとはいえ法治国家。お巡りさんが健在だったから、3人乗りを見ることはなかったが。

魔の時代しか知らない中年や若者は、豊かで最新最先端機器道具が満ちあふれ、それが当たり前という生活を送り、何かと不平を口にするが、かつての日本も世界の途上国で、同じような状況を経て豊かな環境の中に住んでいるということを、知って欲しい。

「だからどうなの」と聞かれても困ってしまうが。

オート3輪に乗って晴れ姿でお出かけ。またダットサンのピックアップで楽しいデート、そんな風情も見られたが、それは当時としてはエリートで、羨ましく眺めている人達が沢山居たのである。

何かが無くとも考えれば何とかなる。昔の知恵、精神を知れば更に結論も早く見つかるだろう。今の人達は、欲しいものがなければ簡単に諦める、腹を立てる、悪い癖である。

昔カー&レジャー新聞に書いた記事の転載:80年代の台北風景。3人乗り当たり前。父親の前のステップに子供、赤ん坊を背に荷台の母と父の間に更に子供一人というのも走っていた