私は進駐軍のジープを見てから車大好き少年になり、車の本を読みあさり、覚えた車の名前をスラスラと並べては得意がっていた。そのころ敗戦貧乏期の日本では、自家用車は、よほどの金持ちか偉い人達でなければ乗っていなかった。
だから日本に自動車雑誌は僅かで、私の知識は、もっぱらポピュラーサイエンス、そして進駐軍からの欧米カー雑誌を擦りきれるほどに読んでは仕込んだものであった。
が、何でも知っていると思っていた自信が、ある日崩れた。高校生の頃だ。見慣れない小型車が銀座に駐まっていた。近寄って眺めるとDYNAPANHARDというのが車名と判った。
あとで日本の車雑誌で著名な解説者の記事にダイナパンハード。読み方が判って仲間に得意がって話をしていると「お前そんな車聞いたことがない」と得意の鼻をへし折られた。その先輩は、戦争中までドイツの日本大使館勤務の車ツーで「それはフランスの車だからディナパナールと読む」と云うのである。(写真トップ:ディナパナール:戦後生産再開630㏄から50年頃に850㏄に。写真は1960型PL17)
50年代前半、だましながら使っていた戦前の車が、くたびれ果てて困っていたタクシー業界は輸入車に跳びついた。中に少量のディナパナールもあり、好奇心に駆られて東京の街角で乗り込んだ。
それまでのシボレーやフォードより小さいから室内は小さいが乗り心地は良かった。それで暫くは忘れていたのだが、たまたま手に入れた英国の雑誌のレポートを読んだ。
それで判ったことは、斬新機構が一杯詰まった素晴らしい小型車だということ。小さなエンジンなのに高速。が、燃費良好、云うなれば良妻賢母のような小型乗用車ということだった。
強制空冷水平対抗二気筒OHVは、ボア85xストローク70㎜と回転馬力指向のオーバースクエア型で850㏄。圧縮比7.2、ゼニス型キャブレターで42hp/5000rpm。1L当たりの出力49馬力は当時として極めて高効率エンジンである。(当時日本の馬力表示はhp表記→現在はpsだがアメリカなどでは未だhp=馬力である)
戦後生産再開の頃は630㏄だったが、50年頃に850㏄に。フルシンクロ四速MTは斬新なコラムシフト。そんなコンビで軽く100㎞オーバーの実力は、軽量空力ボディーから生まれていた。
今でこそ当たり前のエッグフォルムを、50年頃に実行して剛性空力を稼ぎ、そのボディーとシャシーが何とアルミ製だから車重僅か630㎏、高性能の由来はこんな所に発見できた。
全長4575㎜、全幅1600㎜。前輪駆動と相まってスリムな割には居住空間にゆとりがあり、運転中の視界良好。2570㎜とユッタリ目のホイールベースで、乗り心地と居住性を向上している。
さて昔の自動車会社経営では、そこそこの製品を作っていれば長生き、張り切って最先端技術、先取り技術を盛り込むと長続きがしないようだ。
素晴らしい車造りをしたパナールは、61年頃にはシトロエンの資金援助をもってしても耐えきれずに、67年に長い歴史の幕を曳いてしまった。
そもそもパナール社はフランス最古という老舗中の老舗。発明されたばかりのダイムラーエンジンに目を付け特許を買い、エミールルバッソールと共に自動車を完成したのが1888年で、翌89年に創業したのがパナールルバッソール社。その高級車は好評。19世紀からのレース常連でもあるが、自動車業界に残した功績の方が偉大だ。
フロントエンジン後輪駆動方式、丸ハンドル、オイル封入ギアボックスなど、今も全て健在だ。そしてWWⅡ後は大衆車メーカーにはなったが、画期的高性能でルマン24時間、モンテカルロラリーやアルペンラリーに活躍、クラス優勝までしている。
最後に、戦後初めて見た車には、DYNAPANHARDとあったが、会社名がパナール社。戦後の小型車がディナなのだ。が、67年に乗用車市場から乗用車パナールの名は消えた。
が、軍用車輌のオーバーランド社に婿入りした。で、著名な伝統ブランドが価値を発揮、パナール・ジェネラル・ディフェンス社と改名、パナールの名は軍用車で生き続けている。