「ゴウヨン」が愛称のスカイライン2000GTは、レース必勝の作品らしく、生まれた時は醜い姿だったが、レースでの活躍につれて憧れに変わっていった。
が、メーカーのプリンス自動車が日産と合併すると、フルモデルチェンジでGC10型に進化する。日産主導になると、エンジンはプリンスG7型から日産L20型に。が、新GC10には、ファン待望のS54Bに相当する後継モデルが見つからなかった。
GC10誕生の68年頃の日本は明治100年で”いざなぎ景気”。TVの普及でラジオ受信料が無料化。日本初高層ビル、霞ヶ関ビルに日本中が感心。日本はバブルに向かって進撃開始。ドロボーも半端じゃなくなり府中では一事件で三億円も強奪された。
そんな時代の68年に誕生したGC10に、翌年ベールを脱いだのがスカイラインGT-R。これぞ道場破りとも云いたげなスーパースポーツカーの登場にファンは安堵した。(写真トップ:誕生した当初のスカイラインGT-Rはフォードアだった)
姿かたちは常識的なフォードアセダンだったが、ボンネットを開けて、誰もが感嘆の声を上げた。そこには第二回日本GPで、宿敵ポルシェを破ったプリンスR380と同じ心臓が在ったのだ。
S20型は直列六気筒DOHCで24バルブ、市販用にディチューンされたとはいえ、ソレックスキャブレター三連装の闘争心丸出しの姿。アクセルを踏めば7000という高回転から160馬力という、当時としては夢のような高出力を絞り出していたのである。
2リットルで160馬力は、1リットルあたり80馬力、過給器無しのNAでは、世界の檜舞台でも一級の高性能エンジン。最高速度200キロは、当時の常識では夢のような弾丸速度、また154万円という値段も庶民には高嶺の花だった。
勇躍臨んだ初舞台は、69年富士スピードウェイでの、日本グランプリのツーリングカーレース。ライバルはトヨタ1600GT。が、熾烈な一騎打ちの後、最初のゴールはトヨタ1600GTだった。
が、GT-Rは生まれつき強運の持ち主。審査委員が1600GTのGT-Rに対する走路妨害を認定して、GT-Rにラッキーな優勝が転がり込んだ。
それからのGT-Rは連勝街道を走り始めるのだが、ライバルだって黙っては居ない、徐々に進化が進んでそろそろGT-Rも終わりかという時がやってきた。
が、そこでへこたれるような日産ではない。旧プリンスの技術屋達がとった手段は、ホイールベースを短縮して旋回性能を上げることだった。
で、誕生したのがツードアのGT-R。70㎜ホイールベースを短縮の結果、小柄になったGT-Rは車重も20㎏軽くなって瞬発力が向上し、コーナリング性能も向上した。
これで、もう駄目かと思われた連勝記録が更に伸び、連勝街道を走り続ける。
初戦は、ラッキーなフロック勝ちとはいえ、それからの勝ちッぷりはすさまじいもので、69年に始まった連勝は、翌年も、その翌年も、72年の富士グランドチャンピオンレース、通称グラチャンまで続いて、ついに不滅の50連勝という金字塔を打ち立てたのである。ちなみに、50勝目のドライバーは高橋国光だった。
スカイラインGT-Rは日産初のDOHC搭載の市販車だが、レース用高性能エンジン搭載では日本で初めての乗用車であった。