我々仲間内では、通称”カンちゃん”。本名が川上完で、完ちゃんなのである。どこの業界でも、特に専門家には敵がいるものだが、彼には全くといって嫌う仲間がいないようだ。彼の周りは常に明るい雰囲気になる人柄がそうさせるのかも知れない。
専門家としての完ちゃんの知識は広く、最新型車の試乗記からメカはもちろん、クラシックカーなら業界でも一目置く存在。トイカーのコレクターでもあり、本業はどうやら写真家のようである。
80年代シドニーで欲しい古い車の本を探しに行ったら無い。本屋の主人「昨日日本人が買っていった」と云う。主人が云う年かっこう、どうやら完ちゃんのようだ。クラシックカーでは大御所的存在だった故五十嵐平達も「あいつには何時も先を越される」とこぼしていた。ロンドンで同じ目にあったらしい。
そんな完ちゃんが、ロンドンでえらい買い物をして嬉しそうに帰ってきた。クラシックカーファンなら、憧れの一台であるブリストル406の1960年型だった。
ブリストルという会社の元々は飛行機屋で10年の創立。WWIで活躍のスカウトやファイター戦闘機、WWIIではブルドックやボウファイター戦闘機、ブレニム軽爆撃機などを造った名門である。
終戦後、飛行機屋の自動車屋転向は珍しくもなく、ブリストルは47年に戦前の名作BMW328のコピー、ブリストル400を発売するが、戦勝国だからかどうか知らないがBMWの抗議は無かった。
60年になるとブリストル自動車会社の名で独立するが、その間の48年に400は空力ボディーの401に発展、49年モンテカルロラリーで三位入賞。53年、54年にはルマン24時間を走り、モータースポーツにも熱心だった。
それまでのクーペに加えてロードスターも登場。53年には403→404と進化する。さらに53年登場の405は、ブリストル初の四ドアセダンで、両側フロントフェンダー内に、スペアタイヤとバッテリーを内蔵するのが大きな特徴だった。
403迄はBMWと同じ顔のキドニーグリルだったが、404からは完ちゃんのと同じツラ構えになった。完ちゃんの406もフロントフェンダーが、ガバッと開くようになっていた。
406は、水冷直列六気筒OHVで2216㏄、ソレックス型キャブレター三連装で、105馬力/4700回転、12.9kg-m/3000回転。このエンジンの原型はBMW2リットル80馬力で、その発展型だった。
元飛行機屋らしく、新技術、新機構には貪欲で、58年の405は既にディスクブレーキを装備、67年の409ではオルタネーターを装備していた。
で、完ちゃんの406は四輪ディスクブレーキだが、高温多湿と電力消費の多い日本を考慮して、放熱量が多いラジェータとオルタネーターを来日後に換装している。
全長4980㎜、全幅1727㎜。車重1365㎏。定員5名。燃料タンク82L。前輪Wウイッシュボーン/後輪ワットリンク。タイヤが600-16と馬鹿でかい。
ブリストルの車造りのモットーは「高価格けっこう飛行機技術を生かし高性能・高品質に専念せよ」が社主サー・ジョージ・ホワイトの信念だった。
後に、ブリストルに満足するユーザーは”ビジネスマン・エクスプレス”のニックネームで呼んだそうだが、完ちゃんのブリストル(写真トップ)は、街で出合うとのろまな足取りなのが不思議だった。
ある日「判りました」と完ちゃんがはしゃいでいるので、わけを聞くと「一気筒死んでました」と云う。それからのブリストルは、エクスプレスらしく元気に走っていた。