【車屋四六】ヨーロッパの飛行1番機は14番機だった?

コラム・特集 車屋四六

19世紀は蒸気機関発展の世紀。20世紀は内燃機関(ガソリン&ディーゼル)大発展の世紀だった。

ここで19世紀、蒸気時代の車を振り返ってみると、1830年頃には時速17キロでロンドンを起点に、蒸気バスが英国内をネットワークしていた。フランスのバス運行では、1873年頃のボレーはかなり大型で、12人乗りだった。

いずれにしても、自動車全部が煙を吐くのだから、随分と煙たかったろう。

蒸気機関車も大量の煙を出す。小生が子供の頃、電気機関車は東海道線が主で、後は蒸気機関車。で、暑い夏、走行中に大人達が窓を閉め始めるとトンネルだった。閉め忘れると車内中煙だらけで、目から涙で咳き込んだものだ。地下鉄の世界初はロンドンだが、なんと蒸気機関車なのだから、英国人とは偉い奴だと感心するが、乗った奴も偉かったと思う。

ドディオンアクスルで名を残した、ドディオン・ブートンは蒸気自動車の老舗。蒸気は自動車市場で活躍するが、19世紀末が近づくと、オーストリーでジーグフリードが実用的電気自動車の量産を始める。内燃機関登場前、電池とモーターのコンビは優秀な動力で、自動車やオートバイばかりでなく、飛行船まで飛ばし、飛行機まで飛ばそうとしたほどの実力を発揮したのである。

もっとも、蒸気で走るオートバイもあったのだから、そんなことで感心していけない。いずれにしても、蒸気、電気、そして内燃機関で三つ巴の混戦する中、そこから抜け出したのが内燃機関で、20世紀と共に大発展を遂げることになる。

19世紀だ、20世紀だ、と並べてもピンとこない人もいるだろう。ちなみに、20世紀が始まる西暦1901年は、日本の明治34年。20世紀に入って3年目の快挙が、ライト兄弟の世界初飛行。地球の反対側で文明遅れの野蛮な国と、フランス人が決め込んでいるアメリカで、こともあろうにフランスでも飛べない飛行機が飛ぶはずがない。で、新聞は先尾翼のライト機を“カナール”と報道したが、フランス語の裏の意味“ガセネタ”と皮肉を込めたきらいがある。

いずれにしても世界初を失ったフランス人はカッとした。特に我こそ一番を目指していた飛行家達は焦ったが、チャレンジすれば地上を這いまわり、時にジャンプをする程度でしかなかった。で、ようやく飛行に成功したのが1906年だった。

欧州での初飛行は、サントス・デュモン。が、飛んだ飛行機の胴体には14番と書かれていた。飼い犬に”ネコ”と名を付けた話を聞いた。で”ネコ”と呼ぶと”ワン”と答えると笑っていた。犬ならワンだから、一番だと駄洒落になるが、デュモンの14番には、そんな駄洒落心の持ち合わせはない。

実は、彼の飛行機は14番目の飛行マシーンだった。が、13番目までは飛行船だったのだ。とにかく、カッカとしていたフランス人も胸を撫で下す。でも、デュモンはフランス人ではない。ジュールヴェルヌのSFに取り憑かれたブラジルコーヒー王の息子で、フランス留学で気に入ったパリに居残り付けての道楽だった。

デュモンは8という数字が大嫌い。で、8番機が無いから、初飛行の14番機が、実は12機製作後と云うからややこしい。飛行船12機に飛行機1機、もちろん、どれも8の付く日には飛ばなかった。

初飛行の14番機は、航空機用アントアネット24馬力だったが、2ヶ月後には50馬力/1100回転にパワーアップ。再飛行で220メートルを21.2秒で飛び、フランス飛行クラブで記録が公認された。

ヨーロッパ初飛行のドモアゼル14bis(14番機):良く見ればこれもカナールだがフランスで飛べば「カナール」ではなくなる

この記録は、FIA(国際飛行連盟)公認の、世界記録第1号。が、おかしいと思う読者もいるはず。そう1番はライトなのだから。でも偉大なフランス人には、何が何でも世界初はフランスで飛ばなければいけない。飛べばブラジル人でも許されるのだ。

フランス人は、未だにこの手を使うようで、パリ~北京ラリーに参加した日本人ラリーストが「朝になったらレギュレーションが変わってしまった・ひどいもんだ」と憤慨していた。もちろん、その日からフランス車が有利になるのである。パリダカでも同じようなことで、三菱がこぼしていた。

20世紀FOXの「素晴らしき飛行機野郎」という映画は、飛行機ファンにはこたえられない映画だった。レースで三番目にゴールした、ナンバー9のドモアゼル号は、デュモンの二号機のレプリカで、VWビートルの水平対向の飛行機用を搭載していた。

が、レプリカは原型より強力な40馬力なのに、試験飛行で離陸できなかった。原因は、英人テストパイロットの体重80㎏が、設計より過荷重だったのだ。ドモアゼルは、お洒落で華奢な紳士、デュモンの体重50㎏に合わせたテーラーメイドだったのだ。で、50㎏の女性パイロットを見つけ、映画が完成されたというエピソードが生まれた。

とにかく、デュモンの初飛行で名誉は回復され、フランス人の腹の虫は収まった。後年記念切手が発行されたほどだから、歓びもひとしおだったろう。ちなみにカルティエの高級時計にサントスというシリーズがあるが、サントス・デュモン注文の航空用腕時計で、未だに定番シリーズになっている。

余談になるが、カルティエにタンクと呼ぶ時計シリーズがある。こいつはWWIに登場した英国戦車のイメージで生まれたもの。タンクとは、極秘裏に完成した戦車を戦場に送る時、スパイに悟られぬよう、送り状に”水タンク”と書いたのが、そのまま戦車として使われるようになったものだ。

とにかく、世界初飛行でアメリカに先を越されたフランスだが、ヨーロッパで飛んで、それもパリで飛んで、悔しい腹の虫も収まったのである。

デュモン二番作ドモアゼル:飛行機野郎でのレプリカで映画ではアントアネット号。女優が乗るバイクはハーレーダビッドソンでアセチレンガス型ヘッドランプ