【車屋四六】十年ひと昔~三菱・カリスマ~

コラム・特集 車屋四六

昔から〝十年一昔〟ジュウネンヒトムカシという。たしかに10年という単位で世の中の物事は変わるから、一つの節目かもしれない。

自動車業界でも、いくつかの出来事を思い出すが、今回は三菱カリスマについて振り返ってみよう。

カリスマの登場は、1996年=平成8年、丙子(ひのえ・ね)の年。当時日本は、自民党低迷期で三党連立→なんと首相は自民党ではない村山民社党党首だったが、1月になると橋本首相へバトンタッチされる。東京都知事は青島幸男だった。

厚生大臣菅直人が薬害エイズで厚生省の責任を認めて人気上昇は良かったが、集団食中毒O-157の原因をカイワレ大根に結びつけたのが運のつき、上昇した人気が急落した。同じ頃、解散命令に続き、破産宣告を受けたオウム真理教裁判がピークを迎えていた。

90年代初頭、日本経済はバブル景気がはじけて低空飛行中だったが、三菱自動車は健在で、海外市場にも目を向けて、経営不振だったオランダ政府とボルボの合弁会社救済のために出資、ネッドカーを設立。そこで生産したのが「カリスマ」だった。

その工場には、同じラインをカリスマのコンポを流用したボルボS40も流れていた。

ネッドカー工場のライン:カリスマのコンポ流用のボルボS40とカリスマが同じライン上に流れている

カリスマは欧州市場向けだから、日本発売前に欧州市場に登場して、その頃欧州市場で好評のアウディA4、ベンツEに次いで、95年度欧州カーオブザイヤーの第3位を受賞していた。そして日本輸入直前の96年10月、私はフランクフルトでの試乗会に参加した。

バブル崩壊をよそに三菱は元気だった。

で、帰国後に書いた紹介記事からカリスマを紹介しよう。掲載はアポロ出版の『月刊くるま選び』だが、この雑誌も既に無く、昨07年にアポロ出版も倒産、現在は新アポロ出版で再出発→確かに“十年一昔”昔の人は巧いことを云うもんだ。

日本仕様のカリスマ4ドアセダンは当然右ハンドル。全長4450㎜、全幅1695㎜、全高1405㎜。車重約1180㎏。直列四気筒SOHC1800㏄、ECIマルチで125馬力。最大トルク16・5㎏m。ちなみに日本価格はLX・4AT=171万8000円だった。

試乗の出発はフランクフルト近郊のビースバーデン。朝の気温5℃。試乗車はドイツ仕様の左ハンドルだが、日本から送られたエンジンは目覚めよく、直後のアイドルも安定して静か。

電子制御インベクスⅡの4ATは、シフトがスムーズで、ゼロ発進加速良好。中速域でのレスポンスも良好。アウトバーンで床まで踏めば、アッという間の100㎞で、時速150㎞までは苦もなく上昇する。170㎞辺りになると、さすがにジワジワだが、最後に速度計の針は200㎞を指していた。時速150㎞ほどでの巡航は、安定領域である。

サスの味付けは欧州車レベルではソフト寄りだから、BMWなどよりはロールが大きい。が、石畳が得意なフランス車よりハードといったところ。むしろこの方が日本向きだと感じた。が、ステアリングの応答がイマイチだと感じた。

試乗コースはアウトバーンをハイデルベルグまで78㎞。ローテンブルグまで一般路で175㎞。そして出発地ビースバーデンまでアウトバーンで217㎞。全行程467㎞を走った燃料計の残量は4分の1、まだ200㎞は走れただろう。

欧州市場目当ての真面目に造り込まれたカリスマは、乗り味良好、居住性良好、大きなトランクの使い良さ、コストパフォーマンスの高いクルマだったが、日本市場では芽が出なかった。

さて、三菱の元気はここら辺りまでで、すぐにリコール隠しの発覚が連発して、市場から取り残されていくのは、皆さんご存じのとおり。そして近頃の人気回復までに、ほぼ10年の歳月が流れた。

十年一昔とは、良く云ったものである。

オランダ、ネッドカー研究所玄関先の筆者とカリスマ