米国自動車会社資本の100%出資欧州進出第一号が英国フォードで、創業が1911年…T型を輸入するより関税ゼロを利用のノックダウンの方が安上がりという算段だった。
が、WWⅠに巻き込まれた英国は、自動車ばかりかパーツにまで33%という高関税を課したので、対抗策が国産化率の向上だった…それはアッという間に90%を越えたので売り上げ落ちず、ベビーフォードの人気も寄与、フォードは英国トップシェアの座についた。
もっともトップの座は51年までで、52年にオースチン社とナッフィールド社の合併でBMC社が誕生すると、トップの座を交代することになる。
フォード社のWWⅡ後は、終戦の45年秋にアングリア、次いでプリフェクトの戦前型の生産再開で復活した。そして、戦後開発の新型登場が51年で、登場したのがコンサルと、兄貴分のゼファーシックスだった…余談で、同じ年、鬼才ポルシェ博士が逝った。
ゼファーシックスは、英フォードでは初めての六気筒モデルということで、シックスと名付けたと聞く。
注目を浴びたフラッシュサイド姿は、本家フォード49年型からの頂き物だったから、英フォードにも世界の注目が集まった。
そしてボディーがモノコックというのも話題に、またマクファーソンストラットと呼ぶ、ストラット型の前輪懸架装置も話題になった。が、このストラット型は日本では不評だった。
車不足で困っていたタクシー業界が、輸入車を片っ端から買い込み、その中にコンサルもあったが、世界に名だたる当時の悪路を走ると、ストラット上部にクラックが発生するのである。
で、中古市場でコンサルを見つけると、ストラット上部を鉄板で補強してあれば、タクシー上がりと直ぐに判別できた。
もっとも、初めから自家用で使われたコンサルに苦情はなかった。
高級なゼファーシックスの輸入量は少なかったが、コンサルは輸入量が多かったから、かなり見掛ける機会が多かった。
両車、英フォード初採用のOHVエンジンで、コンサルは直四・1508cc47馬力、ゼファーシックスが直六・2262cc68馬力だった。両車、全高と全幅は同じだったが、全長の4169㎜対4365㎜で、やはり二気筒分の差が必要だったのがわかる。
63年に、ゼファーシックスのデラックスバージョンであるゾディアックが登場する。フェンダーミラー・フォグランプ・ホワイトタイヤ、上下に塗分けたツートンカラーが高級感を演出していた。
ついでに、ドイツフォードでも52年にフラッシュサイド姿に切り替えが始まるが、そのタウヌス12Mは、日本に輸入されると即日完売という人気者になり、プレミアム価格で流通していた。
ゼファーが誕生した51年{長時間演奏・針音が低い・落としても割れない}と自慢するレコード盤が日本に登場した。日本コロンビアレコードが発売したLP盤だった。
ちなみに世界初は米国コロンビアだが、日本発売が遅れたのは、加工が難しいのと塩化ビニールの輸入が難しいという理由だった。