この車、日本で見た人は希だろう。私も二回ほどしか見ていない。その名を、オースチンA40スポーツと呼ぶ。写真(トップ)は53年型だが、50年頃から造られているようだ。
オースチンと云えば日産との関連を思いだす。WWⅡ前のオースチンセブンからの付きあいで、戦後も先進技術学習目的で提携、ノックダウンから始めたのがA40サマーセットだった。
故郷英国では、A40に沢山のバリエーションがある。ピックアップ、バン、コマーシャル、オープン等々。そして今回話題にするA40スポーツである。
もちろん日産では造らなかったが、当時の輸入代理店、スチュードベイカーも扱う日新自動車が米軍人に納入。大阪が本拠で、東京支店&工場は港区芝公園一五号地。私は、その工場で、また後日、調布飛行場のジムカーナで、二回見ただけの珍品である。
ちなみに、東京支店は芝園橋際、首都交芝公園口の所にあった。ジムカーナ会場の調布飛行場は、米軍管理時代で、米会員が多いSCCJだから使用できたのだろう。
話変わって、英国はWWⅡの戦勝国ではあるが外貨不足。そこでエキスポートドライブ/輸出促進政策で輸出企業優遇政策をとり、老舗オースチン社もそれに該当。先ず戦前型で生産再開、47年にはA40デボン次いでA70を…A40は52年にサマーセットに。
A40スポーツは、そのサマーセット流用で仕上げたから、外寸は同じようだが、やはりスポーツカー、直四OHV1200ccはサマーセットでは圧縮比7.2・42hp/4500rpmだが、ゼニスのシングルキャブをSU型二連装に換えて、46hp/5000rpmへ」と強化している。
その他のスペックは、全長4000㎜、全幅1540㎜、WB3500㎜、車重914kg。SU型キャブレターはMGやジャガーなどスポーツカーでお馴染みだが、日本では不具合が多く、評判が悪かった。
原因は整備士の理解不足…吸気量調節の摺動ピストン上部に{2000マイル毎に注油}というマニュアルが読めずに放置…油切れでピストンが上下動しにくくなることの不具合。
また、当時の整備士には、二個のキャブレターのバランスを取るという技術にも欠けていたのである。
ちなみに、ひと頃F1でも活躍したSUキャブは、1905年にJ.H.スキナーが開発、ユニオンキャブレターを創業、生産供給したもので、開発者と会社名の頭文字で、SUと呼ぶようになったのだ。
日本では、ARJオースチンローバー・ジャパン社が、95年にミニとモンテゴの輸入を止めてから、供給が止まっているが、英国には製造を引き継いだ会社があるようで、購入可能なようだ。
日本では日立が製造供給したが、日産車に多用されたのは、両社が戦前は日産コンツェルンのファミリー同士ということの縁だろう。
ちなみにブルーバード/バイオレット/チェリー/スカイライン/フェアレディーSP&Z/ローレル/セドリック/グロリア等々で採用。