1906年にハーバート・オースチンがオースチン社を創業、22年に送り出したオースチン・セブンは、以後39年までという長きにわたり造り続けて、世紀の傑作となる名車だった。
セブンが受けたのは、小型軽量廉価高性能、そして四輪にブレーキが効くことだった。それまで乗用車のブレーキは、前輪か後輪にしか付いていなかったのである。
直四側弁式747cc/13馬力エンジンも世界の注目を浴び、ライセンス生産した英リライアント社では、なんと59年までという長寿命を生き抜いた。
注目されたセブンも、世界中でライセンス生産された。
仏ローゼンバーグ社、BMW初の四輪車ディキシーも実はセブン。日産は触れてないがオースチン側には記録があり、戦後のダットサンまではセブンエンジンの流れのようである。
もっとも59年生まれブルーバードも、オースチンA40/50の技術がベースだから、日産とオースチンの縁は深いものがある。
実は、大型車専売と思いがちなアメリカでも造られたのは驚きである。アメリカン・オースチンバンタム社は、30年には生し34年に倒産するが、セブン自体は好評なので、アメリカンバンタム社が生まれ、41年まで生産が続けられた。
その総生産台数が29万861台というから、一応ヒット銘柄。車種は、ロードスター、クーペ、オープン。そして33年にセダンが、40年ステーションワゴンも仲間入りしている。
売れ筋ロードスターは、全長2950㎜・WB2025㎜・車重501kg・最高速度80㎞・価格$445。燃費16km/ℓ保証を自慢した。
売り出すと人気上々、最初の2年間に2万台を出荷。もっともセブンは強運の持ち主で、大衆向け経済車なのに、玩具感覚で金持ちが買ったのは、戦後のミニと同じ過程である。
その中に、大歌手アルジョルスンや喜劇王バスターキートン、ヘミングウエイ等著名人が居て、コメディアンがラジオで笑いぐさに、というのも人気に拍車をかけた。
売れると量産効果で値が下がる、は常識で、年産4000台の工場が完成すると、$300に。もっとも下がったのは値段で、出力は向上して15馬力に、38年には19馬力、39年20馬力、40年22馬力と、年々強力になっていった。
アメリカン・オースチンの寿命はWWⅡ開戦前までだったが、この会社、四輪駆動の歴史に詳しければ誰もが知っている会社。
実は、WWⅡ中に米軍で大活躍した、ジープ生みの親なのだ。
39年独軍のポーランド侵攻で走り回るVWキューベルワーゲンを見て、慌てた米軍が135社に開発を打診、応じたのはGM、フォード、ウイリス、そしてアメリカンバンタム社の四社だった。
が、不得意な小型車に音をあげてGMとフォードは開発から降り、残るはウイリスとバンタム社…特に倒産寸前で活路を探していたバンタム社が真剣に取り組んだ。
が、軍提示の仕様が厳しく、ウイリスは納期に間に合わなかった。一方、バンタム社は切れ者技術屋が居て、軍仕様無視で開発、納期に間に合い採用となるが、軍の莫大な発注量を小さなバンタムではこなせず、ウイリスとフォードに生産が委託された。
鳶に油揚げをさらわれたバンタム社は、さぞかし悔しかったろう。