マツダは、世界に先駆けてロータリーエンジン(RE)の本格的量産化に成功した会社だが、イメージ確立目的で開発したコスモスポーツで世間にアピールして実用化時代に向けてスタートした。
俗に云う「マツダのロータリゼーション」である。
ちなみに世界初RE搭載車は、開発に成功した本家本元NSU社のNSUスパイダーで、500cc・50ps/6000rpm。そのお披露目は、63年のフランクフルトショーだった。
NSUスパイダーはワンローター、マツダのはツーローターでは世界初。そのコスモスポーツは先ず東京モーターショーに登場してから、十分に時間を掛けて熟成させた。その時間を掛けることで話題を生み出し、満を持して発売。高額車だけに売れた数は当然少ないが、注目を浴び存在をアピールしながら第二段登場となる。
第二段は、マツダの屋台骨二代目ファミリアに搭載して、RE車ということをアピールするために、ファミリア・プレストロータリーの名で差別化をはかった。
プレストにはセダンとクーペで、REの性格からしてクーペが本命だったことは明らかだ。その姿は、REにふさわしく、流麗な丸味を帯びた流線型で、美しく速そうだった。
そして、REのローターをあしらった、いわゆる“三角おむすび”の真ん中にマツダの“m”を配したエンブレムが、ラジェーターグリル中央で誇らしげだった。
エンジンは、コスモスポーツと同じツーローターの10A型だが、使い勝手重視で100馬力にディチューンされた。プレストロータリーの登場は68年7月だが、同時にコスモスポーツは110馬力から128馬力へと出力をアップした。
プレストは、100馬力にディチューンされたとは云え、何しろ825kgという軽量車体だから、パワーウエイトレシオが8.2、当時としては一流スポーツカーと同レベルだから、迫力ある走りには、専門家も舌を巻いたものである。言うなれば“羊の皮を被った狼”だったのである。
その諸元は、491ccx2ローター、圧縮比9.4、キャブレター仕様で100hp/7000rpm、13.5kg-m/3500rpm。当然のことながら性能抜群、レシプロファミリアの最高速度150km/hに対して、プレストREは実に180km/h。ゼロ400mでは18.8秒を16.4秒に短縮し、俊足を誇った。
当時憧れのコスモスポーツを148万円では高嶺の花で諦めていたスピードマニアも、70万円という値段なら手が届く。ロータリゼーションに弾みを付けるには大衆車から、という戦術を編み出した松田恒治社長の意気込みが伝わってくるようだ。
その後のREはさらなる量産化でコストダウン、60万円を切るところまで進んで、ルーチェ、カペラと目標通りロータリゼーションは快進撃を続けたが、ある日突然、不幸の運命が訪れた。
石油ショックの到来。で「ロータリーは大食い」のレッテルを貼られて頓挫する話は、これまで何度も書いたので省略する。
プレストRE誕生の68年=日本では昭和43年、同じ年に登場した乗用車は、サニークーペ、ローレル、コルト1200/1500、カローラスプリンター、スカイラインC10、コロナ・マークⅡ、スカイライン2000GT、いすゞ117クーペ。
その年が明治100年記念の日本は“いざなぎ景気”と称して上り坂、庶民は将来に希望を持ち始め、勤勉に働いていた。日本初の高層ビル霞ヶ関ビル完成、住宅マンションブーム等々、景気向上と共に、三億円事件で犯罪でもヒト桁上がった。