“子連れ狼”は子供から大人まで人気の名作だと思う。小池一雄原作、小島剛夕劇画で誕生したのが昭和40年=70年。コギャル人気だった岡崎夕紀が、TVでセーラー服のスカートまくりでパンツを見せる仕草の“ハレンチ学園”が人気の頃でもあった。
そんな年のジュネーブショーで、注目を集めた1台があった。その名はシトロエンSM。
シトロエンを「玉手箱」と云った人がいる。時代を越えたメカやスタイリング、何が飛び出すか判らないが、出てくれば楽しいからということのようだ
30年代に登場したトラクシオンアバン(前輪駆動)、乳母車かと思った2CV、53年には宇宙船のようなDSシリーズ等々、玉手箱からは数々の傑作が飛び出した。
その中から外せない一台に、シトロエンSMがある。
SMは、シトロエンとマセラティのコラボで誕生。SFじみたスタイリングに、戦前(WWⅡ)からのレース界の名門、マセラティの強心臓を移植して、マセラティがまとめたものである。
で、誕生のグランツーリスモに付けられたSMは、コラボの象徴を現す、Sシトロエン+Mマセラティを表している。
マセラティはこの作業で、既に好評市販中のV8エンジンを短縮、短期間に安く高性能V6DOHCエンジンを仕上げたのである。
誕生したV6DOHCは、ツインチョーク・ソレックスキャブレター三連装の2670ccで170馬力/23,5kg-m。さすがマセラティ仕上げという高出力。
で、全長4895㎜、全幅1835㎜という大柄車体を、228km/hまで加速することが出来た。
ちなみに1325㎜という低く流麗な姿はベルトーネ作という噂が流れたが、シトロエンは否定し自作を強調した。
いずれにしてもSMはシトロエン史上最強のFWDだった。残念だったのが前照灯。本来六灯だったのが日本では法規制で四灯に。オリジナルは、六灯のうち二灯がステアリング(前輪)と連動、旋回方向を照射する仕掛けになっていた。
ちなみに子連れ狼は、72年に若山富三郎主演で映画化したのが大当たりで、劇画愛好家から一般大衆の人気者へと発展する。
記憶では、SMの日本発表は、その72年。舞台があったから日比谷宝塚劇場だったろうか。帝国ホテルかもしれない。
フットライト浴びたSMの解説が終わってから「最初の一台お買い上げ」の高らかな声と同時に、フットライトが照射された客席に宝田明の姿があった。
高価な車を衝動買い?私も俳優になりたいなと思った。
カー&レジャー紙向けの本稿を書いた97年3月、萬屋錦之介の死去で新聞TV雑紙は大騒ぎ。73年のTV番組で錦之介は“子連れ狼”の主演で好評だった。
同じ72年、SMに悲しい運命が待っていた。
SMの生涯が短かく短命に終わったのは、シトロエンの経営が傾き、プジョーと合併、合理化の名の下に生産が中止されたからだ。
未来指向のスタイリングで、ファンが憧れた世界最速FWDのSMは、1万2920台を世界に送り出して、75年に生涯を閉じた。