写真のアルファロメオ1750は、景色が美しいビューリーのロードモンタギュー卿の居城内に在る、モンタギュー自動車博物館で66年に撮ったもの。もちろんWWⅡ開戦以前の作品である。
友人宇田川武良が復刻版1750のオーナーなので借りたことがある。宇田川さんは、第一回日本グランプリに、フィアット1500スパイダーで参戦したほどのカーマニアでもある。腕も良い。
復刻版を正しくは、アルファロメオ・スパイダー4Rツァガートと呼ぶ。こいつは単なるレプリカではない。本家アルファロメオが売り出したモデルだから。見方を変えれば本物である。
ちなみに、戦前のオリジナルの工房もツァガートだった。
藤原あきが参院選全国一位当選。いまでは珍しくもないタレント議員だが、その第一号が藤原あき。レプリカ1750が造られたのは同じ年で62年。レプリカは92台生産された。
宇田川さんのは、その貴重な1台。輸入元は伊藤忠オート。
戦前のオリジナルの方は、アルファロメオ6C1750グランスポルトと呼ぶ。1752ccの6気筒は、ルーツ製スーパーチャージャーで武装して、出力が84馬力/4500回転という高性能ぶり。
各地のレースで活躍した折り紙付きサラブレッドで、誕生したのが1930年のこと。
そんな銘車の記事を書こうと長年暖めている約30年。いよいよ書く段になり、念のため写真を丁寧に観察したら6Cではないことが判り、ア然とした。
何の疑いもなく、写真の裏に1750とメモを書いて、そのまま持ち続けていたのである。間違えてもおかしくないほど似た姿のアルファロメオは、31年登場の8C2300だったのだ。
ちなみに、2300のレーシングバージョンは、31年を皮切りに、32年、33年、35年とルマン24時間レースに優勝している。
モンタギュー発行カタログ表示の、イギリスでの価格3000ポンドは、ロールスロイスと同値で、ブガッティのレーシングバージョンより高かったとある。
そして写真の8C2300は33年製と判った。33年というと平成天皇誕生の年。筆者がこの世に顔を出した年でもある。
典型的ロングストローク型エンジンを8Cと呼ぶように、直列8気筒でDOHCという高級メカの持ち主だった。
元々レース大好き、サーキットで活躍するアルファロメオ社にとり、1930年代は至福の時代だった。
32年に30年間イタリーを統治すると宣言したムッソリーニ大統領が、ヒトラー総統と同じ手で、国威高揚手段としてレースのバックアップを宣言、アルファロメオもその恩恵に浴したからだ。
先ずフィアットから天才技師と噂のビットリオ・ヤーノをスカウト。20年代からアルファロメオで活躍中のドライバー、エンツオ・フェラーリにワークスチームの運営を任せる。
それで、四輪ドリフトの元祖とも云われる伝説的ドライバーのヌボラーリ他、優秀ドライバーを揃えて、サーキットを荒らしまわったのである。
が、やがてアルファロメオがレースを諦める事態が来る。
原因は、30年代半ばから、国家的規模でレースに取り組み始めたドイツの、メルセデスベンツやアウトウニオンが猛威を振るいはじめたからである。
余談になるが面白い話しを披露しよう。8C2300が誕生した33年は昭和8年だが、長崎県で“混浴はならぬ”の条例が出された。
こいつは風呂じゃなく海水浴場の話し。棚または浮標識で境界線を明確にして、男女を分け、混浴を禁止せよとのお達しである。
混浴なる言葉は風呂専用と思っていたが、この資料を見て海水浴も混浴なのだと新知識を得た。(今ならプールにも通用するだろう)
本当の風呂場の混浴となると“12才未満混浴禁止”の全国風紀取り締まり条例が、内務省から明治33年に出されているが、それはアルファロメオ社創立の1900年と合致する。