このところ東京モーターショーがらみの映画関連の乗用車を紹介してきたが、今回はグレンミラー物語とダッジ1922年型である。
1922年という年は、フランスで世界初のグランプリレースが開催された年だ。
グレンミラー物語は、1954年作のハリウッド映画。ダッジは主人公グレンミラー愛用の乗用車。54年は、敗戦で軍隊とは縁切りした日本が、自衛隊の名で実質再軍備した年だった。
映画は日本でもヒット“茶色の小瓶”インザムード”真珠の首飾り“セントルイスブルース”などが流行り、レコードも売れた。当時のレコードは、鉄の針で聴く78回転シェラック版だった。
グレンミラーは、日露戦争開戦の1904年にアイオワで生まれた。長じてレッドニコルス楽団で活躍した後、グレンミラーダンス楽団を結成したのが1937年のこと。
ダニーケイ主演の“五つの銅貨”という映画の主人公がレッドニコルスと呼ぶコルネット吹き。その映画にもルイ・アームストロングが登場していた。
ミラー楽団は発足当初は不人気だったが、1939年に魔法の音色と呼ばれた“ミラーサウンド”を生み出してからは人気上昇、引っ張り凧となる。
この時代アメリカのジャズ界は、ベニーグッドマンを中心に、ハリージェームス、ライオネルハンプトン、テディーウイルソン、ジーンクルーパなどが活躍する、スイング時代全盛の頃だった。
スイング時代とは1935年~1945年の間を指す。
ミラーサウンドが完成した1939年頃の日本は、支那事変が始まり第二次世界大戦開戦直前。軍国主義全盛で、航空少女隊と訳のわからぬ集団はまだしも、15~18才までの航空少年兵制度など、年端もいかぬ少年を戦争に狩り出そうという魂胆で、白米を食べることが禁止されるような、暗い時代の始まりでもあった。
1922年型ダッジは6万5000台生産されて、ミラーのホイールベース2850㎜の5人乗りセダンは売値1440ドル。まだウッドスポークの時代だが、写真のホイールはオプション部品でミシュランのプレスホイール。
ついでに後席カーテンと棒状バンパーはオプション装備。エンジンは直列四気筒で3397cc・35馬力・変速機は三速フロアシフト。
第二次世界大戦も末期の1944年11月に東京がB29爆撃機の初空襲。一方、6月、欧州戦線ではノルマンディー上陸で連合軍が反撃開始。
快進撃の連合軍は8月早くもドイツ占領下のパリを奪回解放し、12月そのパリで、連合軍の兵隊だけでなく、ラジオを聞くパリ市民までが、ミラー楽団の演奏を悲しみのうちに聴いていた。
先にパリに着いた楽団は演奏の準備を終え、ロンドンからのミラー到着を待っていたが、いくら待てどもミラーは到着しなかった。
ミラー搭乗の連絡機が英仏海峡で消息を絶ったのだ。で、その夜のパリ公演に、指揮を執るバンドマスター・グレンミラーの姿がなかったのである。
主を失ったグレンミラー楽団は、戦後も活動を続けて、日本にもやってきて、専属歌手のジョンシェパードが、千昌夫と結婚して話題になったが、バブル景気の不動産投資で億万長者になった千昌夫との離婚も、大きな話題を呼んだものである。