【車屋四六】ローマの休日とトポリーノ

コラム・特集 車屋四六

1997年の東京モーターショーで見つけたのは、37年型フィアット500チンクエチェン。通称トポリーノ。映画“ローマの休日”で登場したのと同型と解説が付いていた。

ローマの休日は、53年に発表されたアメリカ映画で、ベテラン男優グレゴリー・ペックと、アメリカ映画初出演という可憐なオードリー・ヘップバーン共演で、評判を取った名作。

ストーリーは、某小国のお姫様と新聞記者の淡い恋物語でローマが舞台。中で活躍するのが、スクーターのベスパとフィアット500チンクエチェントだった。

この作品でオードリーは、ハリウッドスターの街道へ第一歩を踏み出し、やがて世界のアイドルに成長する。

1929年生まれのオードリー、父親はアイルランド系貿易商で、母親がオランダの男爵家だから、お姫様役はまさに適役だが、彼女を見いだしたのは、巨匠ウイリアム・ワイラー監督だった。

ちなみにグレゴリー・ペックは16年カリフォルニアの薬剤師の家に生まれ、カリフォルニア大学医学部卒業後、役者の道に足を踏み込むという経歴の持ち主。

さて、映画では準主人公のトポリーノは、オードリーより1才年下の36年生まれ。その後第二次世界大戦後の48年まで活躍した名車である。

ちなみにトポリーノとはイタリー語で“二十日鼠”=はつかねずみ。小さなフィアット500が小さくて可愛いということから生まれた愛称である。

トポリーノの開発コンセプトは、大型車のミニチュア版ではなく、フィアットが持てる力を注ぎ込み、自動車の最小限を実現しようと追求した小型車だった。それは「登山家が世界の最高峰を目指すのと同じ心境だった」と表現する。

開発者ダンテ・ジアコーサは、当時30才の若手技術屋だったが、後に技術担当重役として、こんにちの巨大フィアットの基礎造りの一端を担ったと云われたほどの人物である。

ジアコーサのポリシーは「たとえ小さくともドライバーに我慢を強いる車ではあってはならない」そして、メカは大きな車と同じ構成、乗り心地と耐久性も同等、安い購入費、安い維持費という、実に、欲張り小型車の実現だった。

可憐な美女ヘップバーンとグレゴリーペックの相乗りでローマを走り回る姿が印象的だった

さて、オードリーは“ローマの休日”で主演アカデミー女優賞の栄冠に輝き、劇中の清楚上品な髪型が世界中に流行する。名付けてヘプバーン・カット、日本でも多くの女性が虜になった。

トポリーノが生まれた36年頃の日本映画界では“お夏清十郎/田中絹代+林長二郎(長谷川一夫)”“祇園姉妹/山田五十鈴+新藤英太郎・監督溝口健二”“一人息子/笠智衆+飯田蝶子・監督小津安二郎”などが評判だった。

一方、輸入外国映画では“オペラハット/米/ゲイリークーパー+ジーンアーサー”“白き処女地/仏/ジャンギャバン”“ドンファン/米/ダグラスフェアバンクス”などが評判作。

が、37年支那事変勃発、41年WWⅡ突入と、平和から遠のきはじめる日本らしく、この頃から外国映画の検閲が強化され、楽しい外国映画が減少する。

ちなみに検閲基準は「日本の儒教的風俗習慣に反するもの」だから、接吻や姦通などはもってのほか。

その儒教的習慣とは、我々昭和一桁生まれ以前の幼少期「男女七歳にして席を同じゅうせず」=七歳以上男女一緒に居てはいけないという時代だから、面白い映画などお許しがでるはずがないのだ。

最後に彼女の名字“ヘプバーン”は英語読みで、生国オランダでは“ヘボン”と発音する。

日本のローマ字を“ヘボン式”というが、オードリー・ヘップバーンは、そのヘボン一族なのだそうだ。