ダットサン物語のついでに、ダットソンのカタログを紹介しておこう。
明治このかた、徐々に文語体が変化して、現在の口語体になる前の、戦前の口語体だから、今の人達には文語体と思えるだろうし、漢字が多いので、判りづらいだろうから、一部、現代用語にした部分もある。
{弊社は明治四拾壱年より自動車製造の日本最古の会社です・ダットソンは昭和五年の内務省令による全国運転免許不要の企画にいち早く登録・許可された}
{爾来=ジライ壱ヶ年、各季節ごとに試験を重ね、七月酷暑の砌=ミギリには、六甲山(神戸市背後海抜三千尺)の表参道を連続拾回登坂し、八月には東京~大阪間を無停車で往復するが、いずれも好成績で走行試験を完了しました}
{天下第一関}部分品は一切インターチェンジブル(カタカナ交じりはハイカラ表現)寸法一定・取り替え可能に作るためリミテッドゲージシステムの下に治具により製作されております}…一台ごとの現場あわせではないことを強調。
{四気筒なるが故に、単気筒や二気筒の如き不快な振動騒音が全くありません・燃料消費も少なく壱ガロン(3.78㍑)で五拾哩(約80㌔)は楽に走れます}
{滑油=エンジンオイル壱ガロンで、壱千五百哩走行出来るので、普通自動車と較べて燃料費は約四分の壱であります}
{税金は五分の壱から拾分の壱と低減・大自動車工場で作るダットソン號は設計製作、材料全て高級乗用車と同じです}
{往診には気軽に先生自身で・商用なら二人分の働きで、活動迅速、最後の勝利を得る・貨物車として、晴雨を論ぜず活動可。スポーツとして小型自動車競争、登山、海水浴、どんなところにも行けないところなし}
といったような文面がカタログに書いてある…ダットソンは小型車だが、高級車と同じ品質性能と、威張っている。
そんなダットソン號が、軍のオカンムリに触れてヒト悶着あったり、晴れてダットサン號を名乗ったことなどは、既に紹介したが、その先は次回に。