永世中立国ゆえに自国製兵器や飛行機が必要で、開発した飛行機もWWⅡが終わってみれば需要減退。で、自動車をという手段は良くある手だが、敗戦で飛行機開発製造禁止の日独とは違うから、飛行機も自動車もという理想的発展となった。
が、まるで無経験の自動車だから、二気筒2サイクル二ドアのDKW/を教本として選んだので、50年登場の92型の機構はFF型DKWだが、そこは飛行機屋の新作、当時珍しい風洞実験を経てCd0.32という水滴型低空気抵抗の姿が独特だった。
その後三気筒の93型→95型へ。更に96型は独フォードV4搭載で国際ラリーでも活躍するが、源流92型は80年まで生延びた。
その間に合併で、68年サーブスカニアと改名するも営業不振で90年GMの傘下に入るが、リーマンショックのGM不振で、日中資本家、オランダスパイカー社、中国自動車メーカーなどと流転を繰り返した結果、2016年サーブというブランド名は消滅した。
さて、飛行機屋らしい強靱なモノコックと空力優先水滴型の独特ボディーが市場で認知されると、67年小型から中型に発展した99型が登場する。そして77年に投入の市販量産車は、世界初のターボ搭載の99ターボ…米国で人気者になる。
当時サーブのジェット戦闘機と併走する99ターボのCMは、戦闘機メーカーの車だから{高性能・速い}を強調していた。
78年に登場した900型は、個性的な姿で人気が出て、特にターボ仕様は米国や日本でも輸入が増えて、評判の良い輸入車となり、サーブの売上げ向上に一役買った。80年代にはコンバーチブルも追加されて、これも評判を呼ぶ。
ちなみに900は、クラシック900とニュー900とに区別され、クラシックには2・4・5ドア、そしてコンバーチブルがあり、一方ニューの方は、合理化コストダウンのためにGM傘下の独オペル・ベクトラとシャシーを共用していた。
84年に登場した9000型は異色だった。これもコストダウン合理化の一端で、サーブとコラボしたフィアットのシャシー共通化で生まれた。で、フィアット・クロマ、アルファロメオ164、ランチャ・テーマ、なんと一卵性四兄弟車の誕生となった。
そして2009年に9-5型へと進化するが、この間21世紀に入り、2000年の2825台から順次売上げ減少、09年/184台、10年には僅か64台と減少の一途をたどった。
日本では長い間、西部自動車が輸入権を持っていたが、その後、三和自動車、ヤナセも輸入販売をするが、結局はGM不振で日本市場から撤退、ブランド名も消滅したが、部品供給はPCJ=プジョーシトロエン・ジャポンが継続しているようだ。
完成度が高く個性が強いサーブは、始めから終わるまで、愉しい車で、強烈な固定ファンを持った車だったから、その消滅が惜しまれる車の一台である。
車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。