公衆電話とテレフォンカードと懐かしいクルマ

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私が子供の頃、それ以前、電話にはダイヤルがなかった。元気よくクランクを回し、交換手に先方の番号を告げると繋いでくれた。が、時には、接続までに30分、1時間も待つこともあった。

さて東京横浜に電話登場は1890年/明治23年。そして明治33年に1通話10銭の自動電話登場が公衆電話の元祖。が21世紀になり、公衆電話が激減したのは、携帯やスマホ普及だった。

終戦まで交換手方式主流だった公衆電話は、WWⅡ後になりダイヤル式が増える。が、田舎では相変わらず呼び出し電話だった。ダイヤル硬貨投入型公衆電話機登場は昭和29年。戦後に鋳造を開始した10円硬貨普及が登場の切っ掛けだった。

が、長電話、長距離電話では沢山の10円玉を用意し、投入も大変。で72年になると百円硬貨型が登場するが釣り銭が出ず苦情が出たので、登場したのがテレフォンカード=テレカだった。

磁気によるプリペイドカードのテレカは昭和57年に電電公社から発売、最初の絵柄は岡本太郎。カードは小銭不要、10円単位で減っていき、長時間通話で硬貨を投入し続ける作業も不要になった。更に硬貨収集で巡回する手間も省けるようになった。

テレカは四種類、50/100/300/500度数があり、プリペイドなので、高額カードなら+105/320/540度数と、おまけが付いた。

テレカは、広告が印刷できるので、各職種で記念やPR活動に利用するようになり、自動車絵柄も登場するようになり、そんなテレカを紹介しよう。

1、世紀の傑作フォードT型の命運が尽き、1927年に後継モデルとして登場したのがA型。それとカーネルサンダースのコンビだから、当然ケンタッキーフライドチキンのPRカード。

車は1930年頃のフォードA型クーペのようだ。直四・3284cc・40馬力/2200回転/1930年度のフォードTの全生産量は105万5097台/年。

2.ハップモビル/ツードアクーペ1938年型:1909年創業の老舗で41年に消滅した会社。マリリンモンロー主演「お熱いのがお好き」を見た人なら想い出すかも。ギャングに追われるミュージシャン、ミッキーカーチスとジャックレモンが借りたレンタカーだ。残念ながら広告主不明。

1938年型ハップモビル・ツードアクーペ:WB122吋・101馬力とWB125吋/120馬力の二種があった。

3.1930年、オースチンセブン生産のためアメリカンオースチン社創業→34年倒産。車は好評なので新アメリカンバンタム社で41年迄継続生産。広告主カーパル越谷は中古車販売業だったと思う。

1938年頃のアメリカンバンタム・ロードスター:34年倒産のオースチンバンタム社から引き継ぎ、年産4000台の新工場完成時$445だったのが$300まで下がる反面、エンジン出力は15馬力から最後には22馬力に。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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