東京市の交通事始め

all コラム・特集 車屋四六

世界有数の大都市、東京の公的交通手段は市電、バス、地下鉄の順で始まった。その起源は1882年/明治15年創業の東京馬車鉄道(株)…読んで字のごとし、レール上を馬車が走る鉄道馬車だが、1903年/明治39年の電化で馬が電車になり東京電車鉄道(株)と改名。

東京には、東京電気鉄道、東京市街鉄道があり実質三社併存だったが、09年三社合併で東京鉄道(株)誕生。11年それを東京市が買収して東京市電気局が生まれ、路面電車を東京市電と呼ぶようになったのが明治44年だった。

明治39年創業時の市電/Wikipedia:尾張町とあるから左は服部時計店だろうか/電車の前のネットは歩行者安全装置/二本のパンタグラフ・電圧は直流600V/左端にフォードT型と人力車後部が。

さて、東京のバスは、1918年/大正7年に東京市街自動車(株)が誕生し、翌9年運行開始…その塗色から「青バス」の名で親しまれたそうだが、子供の頃の私の記憶にはない。
その後も暫くは市電が隆盛で、徐々に路線は拡大するもバスは主流ではなかった。が、状況は大正12年9月1日に一変する。原因は関東大震災。

線路や架線が壊れた市電は走れず復旧には時間が掛かる。で道があれば走れるバスにお鉢が廻ってきたのだ。
東京市は早速フォードT型を発注し、11人乗りバスを用意したが運転手がいない。で、市電の運転手を陸軍自動車学校に委託し速成運転手で対応するが、にわか運転手達らしく事故が多発した。

その乗合バスの愛称「円太郎バス」は、鉄道馬車時代の愛称「円太郎馬車」から来たようだ。1920年/大正10年に、女車掌登場で話題となるが、少年車掌達が運賃をくすねるのが原因だったと聞く。

東洋最初の地下鉄は、英領の香港でもなければシンガポールでもなく、日本だった。早川徳次がロンドンの地下鉄を見て「路面状況に左右されずに定時運行が出来る」と感心、1927年/昭和2年東京地下鉄(株)が設立されたのが始まり。

昭和2年地下鉄開通時のポスター:第三軌条方式の別レールから供給される電圧は600V/安全対策で駅間近で横の木製カバーの通電軌条に替わる時に一瞬停電し搭載電池で非常灯が点灯するのを憶えている。

で「東洋唯一の地下鉄」と銘打ち浅草と上野間が開通したのが1927年/昭和2年のこと…そして30年万世橋まで路線延長…さらに神田まで延長して万世橋駅廃止…32年三越駅まで延長/地下鉄直結で客が増えると考え三越出資で駅名三越誕生…32年銀座まで延長…34年新橋まで延長する。

一方、別企業「東京高速鉄道(株)」が38年に表参道と虎ノ門間開業。1ヶ月後に澁谷まで延長…39年新橋に延長、二社の直通運転で現在の銀座線が完成する。

支那事変が始まると軍主導で各界の統合が進む中、地下鉄も同様。41年に東京地下鉄と東京高速鉄道の合併で帝都高速度営団が誕生する。そして戦後になり丸ノ内線など、次々と新路線、路線延長で現在の地下鉄網が完成していったのである。

さて最後に各乗物の運賃を紹介しておこう…創業時/戦争中・私の小学生時代/そして終戦の昭和20年の順に。
市電:昭和2年4銭/昭和18年10銭/昭和20年20銭。バス:大正13年10銭/10銭/20銭。地下鉄:昭和2年10銭/10銭/20銭。ちなみに地下鉄開業時10銭で開く改札口=自動改札機があったというが私は知らない。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

Tagged