インペリアル自動車博物館のフランクリン・リナウイー・シャハト

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ラスベガスの7回目は、極初期の米国車の紹介。ダイムラーとベンツが内燃機関を発明して、フランスで普及の途についた自動車だが数年後には、やがて自動車大国になる米国でも開発が始まり、数多くのメーカーが誕生した。

その中で1901年/明治34年に誕生したのがフランクリンだが、初期の自動車会社が消えては生まれを繰り返しの中、比較的長生きで、消え去ったのは1934年だった。
フランクリンは02年に直四空冷1.7ℓを完成発売してから、05年には直六空冷というように、空冷エンジンを得意とした。

1907年フランクリン四座席ツーリング/$1850:特徴のドラム型エンジンルームが特徴で始動用クランクが前下に。アセチレン瓦斯型前照灯、車幅灯は灯油ランプのよう。前窓は上部が前倒

写真のモデルGツーリング型は直四16馬力だったが、同年のカタログには、モデルGのほか、モデルD・直四28馬力、モデルH直六42馬力などを揃えていた。
ちなみに写真のモデルGツーリングの値段は$1850だった。

米国自動車市場黎明期に生まれた車は、フランクリンのように長生きした車よりも、生まれては消えていった短命のメーカーの方が遥かに多かったのは、自動車先進国の欧州や、僅か50年間に数多くのメーカーが消えていった日本と同じである。
かつて日本がそんな状況だった頃「一国に自動車メーカーは2~3が常識だ」と云われたものだった。

1903年リナウイー四座席トノー/$1475:僅か15台生産だが顧客は金満家だから馬車技術を活かした仕上げは上々だ。前照灯・車幅灯共に灯油ランプのようだ

米国の消えていった中で、特に短命だったのが写真のリナウイー/1903~04年。皆さん聞いたことがないだろうが、私もラスベガスで見るまでは知らなかったし、資料にも詳しくは載っていないから、こんな車があったという程度で見て頂きたい。
1904年型四座製トノーは、前席下の水冷単気筒から後輪をチェーンで駆動。生産台数は1904年の15台のみである。

1908年シャハト二座席ロードスター/$1250。会社は05年~38年迄続くが、乗用車生産は13年迄で後半はトラック製造。
当初水冷直二1.6ℓ10馬力でスタート、写真の車は直二・20馬力。09年になると直四・40馬力が登場する。チェーンでの後輪駆動。

1908年シャハト二座席ロードスター/$1250:チェーンで後輪駆動のロードスター。速度が遅いから揚げた幌は前からの革ベルト引っ張り固定。前照灯&車幅灯は灯油ランプ/真鍮の細工が美しい。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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