黒と黄色・二つの巡洋艦隊大冒険旅行

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1920年代、未知の扉を開こうと探検旅行が流行った時代がある。
その一環で、シトロエンも果敢にチャレンジしたのが、未踏のアフリカの砂漠横断と欧州からのシルクロード制覇だった。

そこで活躍したのがシトロエンのハーフトラックだが、その開発目的は探検ではなく、陸軍の需要を狙ったものだった。で、1920年頃、ロシア人アンドレRケグレスの雪上走破目的の特許システムケグレスを買い、ケグレスを役員に迎えて開発したのである。

特許システムケグレスの無限軌道/キャピラー:張られたゴムブロックは舗装路を痛めぬ目的か、騒音防止か、舗装路でのキャピラーの摩耗を防ぐ目的なのか。

システムの中心は従来の後輪に相当する部分の無限軌道=キャピラーで、こいつはWWⅠ中に登場した新兵器、英軍のタンクからのヒントのようで、21年登場のB2をベースに開発された。
ちなみにB2の諸元は、WB2835㎜・全長3680×全幅1410×全高1830㎜・車重1010kg・直四SV・1452cc・20馬力/2100回転。最高速度70kph・総生産台数89.941台。

手始めは先ず22年12月アルジェリアを出発し、20日間で8000㎞を走り、無事サハラ砂漠を横断、現在のマリのトムブクトーに到達し目的を達成。この横断は政府の希望があったのだが、同様目的で、シトロエンの直後にルノーも六輪車で成功している。

気を良くしたシトロエンは、更に壮大な探検旅行を計画する。アルジェリアから未知のアフリカ奥地を横断し、仏領マダカスカルまでの2万㎞で、24年出発し8ヶ月かけて翌25年に到着した。
参加したB2ハーフトラックが黒色だったので{黒い巡洋艦隊}と呼ばれている。

これで終わりかと思ったら、更に過酷な第三回目の遠征を企てた。今度は、中央アジア横断で北京を目指すシルクロード。古くは三蔵法師、またマルコポーロなどの記録はあるが、20世紀に入り未知暗黒のシルクロード制覇だった。

で、C4ベース軽量装備仕上げの7台、先端にローラーを持つC6ベース重装備仕上げの7台、塗色の色から今度は黄色の巡洋艦隊と呼ばれる合計14台が準備された。
で、C4グループはベイルートが起点で、C6グループは北京起点で、パミール高原で落ち合うという計画が立てられた。

31年、両隊は出発し、分解して山を越え、人足が川を担いで渡り、半年後にパミール高原で合流した後、北京に到着したのは1年後だった。実は、更に足を伸ばして仏領インドシナ(現ベトナム)までの計画だったが、リーダーの死で中止となった。

この後の34年、今度は白い巡洋艦隊が北極圏横断などで活躍したが、最後は軍用として戦場を駆け回ることになるが、シトロエンが果敢に挑戦した探検は、単に学術目的だったのである。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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