馬なし馬車はガソリン発動機で生まれ変わった

コラム・特集 車屋四六

1906年に創業する英オースチンは、1895年に水平対向二気筒の三輪車を開発し{進歩}と命名したのは、発動機の将来を予測したようで愉快なネーミングである。

そのころ欧州からは田舎と見下されていた米国でも、自動車王国への道を走り出していた。1896年には、フォードの10馬力、オールズの6馬力などが完成し走っている。
ちなみにオールズは、91年に蒸気車も完成したが、将来を見通したのか、自動車開発を内燃機関に絞り込んだ。

ヘンリー・フォード開発の第一号車/1896年/乗るのはフォード

当初、飛行機が鳥のイメージから脱しきれなかったように、初期の自動車は馬車の延長だった。で、馬なし馬車と呼ばれたのも良く判る。が、パナールの1889年型は馬車型だったが、1891年には近代型自動車の大部分が採用している、前発動機・後輪駆動、いわゆるFR形式へと進化しているが、プジョーやライバル達は、まだ馬車型のままだった。

自動車の源流と目されるのは、1769年登場の仏キュノーの蒸気トラクター。その後蒸気機関は、19世紀に入り各分野の動力として発展を遂げる。1830年ロンドンを起点とするバスは時速16㎞で英国をネットワークし、仏国には定員12名という大型バスもあった。

自動車の源流と目される1769年誕生キュノー三輪蒸気トラクター:キュノー砲兵大尉が大砲の牽引目的で開発したが採用されなかった

いずれにしても自動車が、街中を煙を吐きながら走るのだから、さぞかし煙たかったろう。近頃では憧れの蒸気機関車/SLだが、昭和30年代頃までトンネルに入ると、煙で往生したものである。
走行中、夏は窓開け放しだが、その路線をよく知る客が、トンネル直前になると窓を閉め、それにならって窓側席全員が窓締め作業をする…閉め切られた車内のトンネルを出るまでの暑苦しさを今でも想い出す。窓締めが遅れると車内は煙充満で往生したものである。

もっとも史上初のロンドン地下鉄がSLだったのだから、それと較べればどうということはない。でもロンドンの地下鉄を造った奴は偉いが、それに乗る乗客も偉かったといえよう。

ドディオンアクスルで著名なドディオンブートンも蒸気乗用車では老舗の一軒。一方19世紀末になると、オーストリーのジーグフリードのように電池で自動車を量産する会社も出てきた。
このように電池が実用的になると、自動車やバイクばかりでなく、飛行船も電動機で飛ぶようになり、飛行機さえ飛ばそうとする程、電動機+電池は、当時の優れた動力だったのである。

もっとも、蒸気でバイクも走っていたのだから、そんなことで感心する必要もないが、あらゆる動力が試される中、その混戦から抜け出したのが内燃機関で、やがて20世紀で花が開くのである。

1930年頃のロンドン風景という絵:大型バスを中心に、乗用車、自転車などが走るが、車も工場も家も煙を噴出している

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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