木製ボディーは高級車のあかし

コラム・特集 車屋四六

手間が掛かるのか近頃見なくなったのが木製ボディー。WWⅡが終わってから暫くは、日本の街角でもよく見かけたものだった。
終戦直後の私は中学生で、車は好きだったが詳しくなかった。で、木製は安い車だと思った…当時の日本は、木・布・革など自然の素材は安く、その加工をする職人も沢山居たからである。

木製のステーションワゴンは安物だろうと思ったが「ワゴンは欲しいが高価なので」と進駐軍将校が云うように、彼らはステイタス性を感じていたようだ。

戦争に負けて進駐軍が来た時は、ジープ、ウエポンキャリアー、GMCトラックなど兵器同然の車ばかりだったが、占領が一段落するにつれ将校や軍属その家族の乗用車が走り出し、その中に木製の車もあり、変わっている姿が私は好きだった。

ある日、六本木近くの米軍のスターズ&ストライプス新聞社に、姿は同じだが窓が無く、木製でなく鉄板のワゴンを見つけたが、それはコマーシャルバン、デリバリーバンだと教えて貰った。

「乗用車だが家族や客を駅まで向かえに行き荷物も積むのでステーションワゴンと呼ぶ」というのがネーミングの由来、また沢山売れないからプレスでは高く付くので車体改造は木なのだとも聞いたが、これは間違いだと後日知った。

常識では改造時、木骨の上にベニヤ板を張るのが順当なのに、骨は外側である。やがて判ったのは、初めからデザイン優先でこのように作られたもので、進駐軍と共に来た車だから戦後派だと思っていたら、WWⅡ前に誕生していたものということも知った。

1930年代乗用車というものはセダンばかりだったが、広大な土地に住む米国人達は、荷物も積めたらという要望が出て、ワゴン誕生の切っ掛けになったようだ。

それが何時頃かと調べたら、手元の資料での最古は1927年のフォードで、其処にはフォード・ウッディーワゴン(トップ写真)と書かれ、それも数種類のシリーズ中の最高価格バージョンだった。
売り出すと評判が良かったようで、当然のようにライバルも続々登場、一番遅れたのがクライスラーだったようだ。

1950年型クライスラー・タウン&カントリー・コンバーチブル

木製ワゴンはWWⅡ以後もすたれることはなく、相変わらず人気が高く、それならとセダンにまで波及するが、その極みがクライスラーのタウン&カントリーだった。

が、木製となれば大工仕事で人手が掛かり、人件費が高い米国では徐々に姿を消し、プレスボディーに移行するが、一度覚えた木の味が忘れられず、木目を貼ったり、塗装で木目もどきを作ったり、それは今でも続いている。

もどきは日本にも登場、三菱ジープワゴンやシビックカントリーなどである。が、そんな人気も日本では何処へやら、日本の流行の浮き沈みは激しく予測が付けにくい。

 

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

 

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