【アーカイブ】6代目スカイライン(R30) ターボRS試乗記 1983年4月掲載

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今秋のマイナーチェンジで、国内初となるハンズオフ機能を備えた「プロパイロット2.0」を搭載する日産スカイライン。業界をリードするその先進性は大いに注目されるところだ。

さてスカイラインといえば、歴代モデルもその時代の最新技術を搭載し、ライバルを凌駕してきた歴史がある。その中で今回は激しいパワー競争の時代に登場した「ニューマン・スカイライン」と呼ばれた6代目「R30スカイライン」をピックアップ。中でもホットだったターボRSの試乗記をみてみよう。

 

<週刊Car&レジャー 昭和58年4月23日発行号より>

このところ日産、トヨタの2L戦線が熾烈をきわめている。キャブレターで110馬力前後だったのが、電子制御噴射で125馬力に。この時代はかなり長く続いた。

2LのDOHC化で145馬力が得られると、その馬力はターボでも実現し、2・8L級出力となったのである。

これで終わりかと思ったら、日産からツインカム4バルブ150馬力がトビ出した。日産のツインカムは本物。かつて、日本初の乗用車用4バルブを例のGTRに積んだ歴史を持つ。このFJ20型は四気筒だが、トヨタは対抗馬として六気筒4バルブとインタークーラー付ターボ160馬力を投入した。

●化け物マシンだぜ

今度は日産がFJ20にターボをドッキングさせた。現在、市場最強のFJ20・T型、実に190馬力を完成させたのである。ターボRSの誕生だ。
私より先に試乗した若いリポーターが電話をかけてきた「アリャー化け物ですよ」。4バルブの咆哮は強力という印象ではなく、粗暴に近いというのだ。

表現が多少オーバーというかもしれないが、実際にやる気になると、粗暴な走りも可能なのは確かなことだった。

だが、馬鹿と鋏はナントやら。走り方では狼も羊らしく走るのだ。羊らしく走ったら、すばらしい燃費をタタキ出したのである。ターボRSの60キロ定地燃費は17・4㎞/L、10モードが10・2㎞/L。粗暴を楽しむというより、190馬力の瞬発力に酔いしれて走ったにもかかわらず9・8㎞/Lという高い燃費を出したのである。

だが、その部分を含めて東京、箱根を往復した平均燃費は、実に14・0㎞/Lに達したのだ。別の面から見れば、このエンジンの燃焼効率の高さが実証されたのである。

●もちろん国産最速

6400という高回転で得られる、190馬力。1L当り95馬力は、少し昔ならレーシングエンジンのもの。パワーウエートレシオ6・1は大型エンジンの舶来スポーツカーの領域だ。

摩擦係数が大きな60タイヤをもってしても、気軽なクラッチミートでは、ホイールスピンの音に驚かされるだけで、上手なスタートがむずかしい。神経を集中してスタート、ゼロ100は6・99秒だ。4・3%の速度計の甘さを差し引いても7秒台は確実という、国産最速を経験することができた。

レッドゾーンは7500から始まる。そこまで回したとき、1速の守備範囲は68キロ、2速は実に120キロに達した。追越加速の100~120を2速で計測できたことはめったにない。

2段切り換えのサスをハードにする。ターボなしのRSより、よりハードになり、それこそハード走行が楽になった。

パワーステアリングは、据え切りでは威力を発揮するが、走り出すとノーパワーという感じは、RSの性格上ベストなもので、走行中のダイレクト感も磨き上げられている。

性格は弱いアンダーで、狙ったラインにズンと切れ込んで行くが、ハイパワーにものをいわせ、アクセリングにより後輪ドリフトを気ままに楽しめる。こんな時、ノンスリップデフの有難さが身にしみる。ハードだが追従性の高いサスやノンスリップデフの効果を考えると、ダート走行でも大きな威力を発揮しそうだ。もちろん、このままでもサーキット走行が楽しめる。国産車中で最ハードのサスペンションは、日産の、これまた看板のセミトレーリングの完成度も高く、これによる四輪独立懸架も大きな効果を上げている。

サーキットやダート走行が本業という場合には、インジェクションから、アクセルレスポンスのいい、キャブレターに換えた方がよかろう。

サスをソフトに切り換えると、ハードではあるが、タウンユースとして何等不満のない、マイルドのサスペンションに生まれ代わる。
しかし、走るために生まれてきた、この乗用車にゼイタクは付いていない。テスト車にはAMラジオが付いているだけだった。

●ペダル配置も絶妙

もちろん、オーナーの好みで何でも付くだろう。だが、それをクルマ自身が喜ぶかどうか考えてみる事だ。

初めてトビ乗って、長い付き合いのように、違和感もなく知らずのうちに、ヒール&トウを使っている、絶妙とも言えるペダル配置。フートレスト。チルトする太目でしっかりしたグリップのステアリング。見易いメーター。変なカッコーだが具合の良いシフトノブ。ピタッとホールドするシート。

車を理解し、走るのが好きで、しかもジャジャ馬を飼い馴らす腕前。そんなオーナーだけに乗ってほしい、といいたげな車だった。

 

 

 

<解説>

6代目スカイラインが登場した昭和56年当時は、昭和50年代初頭の排ガス規制対策が一段落し、再びパワー競争が激化した頃。特に2代目セリカが「名ばかりのGT達は、道を開ける。」のコピーで挑発して以降、スカイラインvsセリカの激しい馬力競争が繰り広げられることになった。

本記事の試乗車は、6代目スカイライン登場から約2年後の昭和58年2月に追加された「2000ターボRS」。なお6代目スカイラインは同年8月にはマイナーチェンジし、RSは後期型のグリルレス、いわゆる「鉄仮面」になるが、その直前のモデルである。ちなみに「2000ターボRS」の発売日は2月21日、マイナーチェンジは8月18日だから、販売期間は半年にも満たなかったことになる。異例ともいえる短さだが、それだけ競争が激しかったといえるだろう。なお鉄仮面登場の前日、8月17日にはセリカ(3代目)がマイナーチェンジしており、こちらもフロントのデザインを大きく変えている。

さてターボRSは、それまでのRSが搭載していたFJ20E(NA・DOHC)の150psに対してターボの装着により40ps増の190psを発揮したが、非常にハードなクルマであったことが伝わってくる。現在のターボ車はフラットなトルク特性を持つものが多いが、当時のターボ車は急激にトルクとパワーが立ちあがってくるもので、また電子制御デバイスや高いシャシー性能も持ち合わせていない。このため誰でも気軽に乗りこなせるというものではなかった。しかし、それ故に腕に自信のある若いドライバーには魅力的なクルマだったといえるだろう。

当時の新聞広告。「史上最強のスカイライン。」のコピーが誇らしげだ
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