【車屋四六】タルボ・サンバ・カブリオレ

コラム・特集 車屋四六

タルボと云っても「そりゃ何だ」と云う時代になった。
1978年にプジョーに吸収されたが、生まれは英国で1950年代のサンビームにタルボの名が登場しているが、創業は03年/明治36年という老舗である。(写真トップ:幌状態のタルボ・サンバ・カブリオレ:ピニンファリナらしく綺麗な姿に仕上がっている。後方は富士重工製スバルFA200単発軽飛行機)

明治36年で有名なのは{モルガンおゆき}。京都祇園の名妓、加藤ゆきと米国屈指の財閥モルガン家御曹司との結婚である。
米財閥令嬢との破談で傷心旅行中訪れた京都で{おゆき}に一目惚れ…が、おゆきは嫌がり落籍料四万円と吹っかけた…いまなら四億円ほどというが、それをポンと出されてしまって目出度し目出度し…瓢箪から駒とは正にこのこと。

が、米国上流社会は日本人妻を受け入れず、やむなく夫妻はパリに住むが夫は早逝。で、再婚したタンダール伯爵にも先立たれ、帰国後京都に住み82才で他界した。
その経緯をミュージカル化したのが{モルガンおゆき}越路吹雪主演で、1951年に帝劇で公演されたのを、私も見に行った。

さて明治36年生まれのタルボは、WWⅡ後プジョーと合併し、プジョー104をベースに開発の小型車をタルボサンバと名付けた。
そのサンバにピニンファリナが手を加えて生まれたのが、サンバカブリオレだった。

諸元は、全長3505㎜、全幅1430㎜、全高1360㎜・車重840kg・定員4名・直四OHC・1360cc・72馬力/10.9kg-m・5MT・ブレーキ:前輪ディスク/後輪ドラム。

オープン状態のサンバ:撮影場所は秋川。ロールバーは仕方ないが、引き込まれない後部ガラスが美的に邪魔である

当時、米国の安全対策のオープン禁止で、世界中からオープンカーが消えた時代だったが、解決策としてロールバー付が登場し、タルボサンバもそれで米国輸入が可能になった車だった。

幌を巻き上げると残るBピラーがロールバー兼用で、幌はドイツ風に後部に畳みあげる構造だった。が、後部サイドガラスが引き込まないのが美観的には欠点だった。

このロールバーは、結果的に車体剛性を強化したので、悪路でボディーがきしむこともなく、良い影響を生み出していた。直進安定もすこぶる良かった。

それまでドイツは硬め、フランスは柔らかと乗り心地がはっきりと分かれていたが、サンバはその中間で、この頃が全般的にフランス車のサスが硬くなり始めた頃のようである。
幌は高速で浮き上がることなく、風切り音も低く、着座高目の良好な見切りで、運転しやすい車だった。後席レッグルームは狭くなく、大人四人が楽に座れる車だった。

未だFF普及の初期の頃らしく、前輪荷重増加のためにエンジン上部にスペアタイヤを格納(レオーネもそうだった)軽快な排気音を撒きながら軽快に走る、愉しいカブリオレだった。

当時のシトロエン&プジョーの輸入代理店は西武自動車で、試乗車は今では許されない仮ナンバー付き。その値段320万円は、ちょっと高いかなと思った記憶がある。

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