ツービート・伸介竜介・B&B・ザぼんち・のりおよしお等々は、一世を風靡した漫才ブームの落とし子達だが、ブームはTVの{花王名人劇場}{お笑いスター誕生}で生まれたものだった。また新番組{笑っている場合ですよ}は、人気お笑い番組ドリフターズ{8時だよ全員集合}とは違う、新鮮な笑いをお茶の間に振りまいた。
厳しい評論家は「芸人消失・芸でなく受け狙いだ」と評した。
戦後最大の娯楽だった映画から、時代変わってTV時代の到来で、こいつは時代が生み出した笑いだったのだ…ちなみにNHKのTV視聴契約が2500万に達した頃だった。
それが1980年。大平首相の選挙過労死で鈴木内閣が誕生し、ホンダからバラードが誕生した。当時のホンダの陣容はアコード・シビック・プレリュード・クイントで、軽自動車は休眠中だった。
当時ホンダのフラグシップはアコードで4ドアセダンだが、主流のシビックと共にクイントもハッチバックということで、同クラスのスリーボックス・4ドアセダンを目指したものだった。
エンジンは、1.3ℓと1.5ℓ、変速機は5MTとホンダマチック(OD付二速AT)。写真のバラードは1500FXT/5MTで値段109.1万円だった/写真トップの撮影場所は横須賀の手前と記憶する。(箱根の報道新車試乗会でのバラード:現在この場所に自動車は入れなくなった。これも時代である。)
諸元:全長4095x全幅1600x全高1345㎜・WB2320㎜・車重830kg・定員五名・前輪ディスクブレーキ/後輪ドラム・タイヤ165SR13。EM型は直四OHCで1488cc・圧縮比9.3・キャブレター仕様で85馬力/5700回転・12.3kg-m/3500回転・燃料タンク63ℓ。
排ガス対策は、世界の排ガス規制合格第一号のCVCCだが、第二世代とあって、かなり失ったパワーを取り戻していた。またロングストローク型らしい良好な中速域のトルク特性で、かなりな動力性能を取り戻し、走りも軽快になっていた。
ちなみに、当時このクラスのライバルは、カローラⅡ・パルサー・ミラージュⅡ・ファミリアなど。
バラード誕生の年、ミノルタX-7/\59.500のCMが話題になった。ちょっと太めDカップの女の子がジーパンを脱ぎ微笑むCMだった。「あの子は誰?」と問い合わせが殺到したと云うが、女子大生の宮崎美子、その後の活躍は皆様御承知の通りである。
あれから37年経った2017年現在、カメラの名門ミノルタは経営不振で、日本最古のフィルムメーカー・コニカと合併するも、再興できないカメラ部門を、ソニーに売却してしまった。
栄枯盛衰は世の習いと云うが、バラードも消えてしまった。