震災復興で最優先事項は物流の確保…関東大震災に見舞われた東京で、壊滅の電車復旧には時間が掛かる、ということでバスになった話しは既に何回かしている。
すぐに発注したフォードT型バスは、震災後半年もたたずに走り出しだのだから打つ手は早かった。そして直ぐに生まれた愛称が{円太郎バス}。入る姿を見て、円太郎馬車を思いだしたのだろう。
恥ずかしながら長年このバスを、輸入したシャシーに日本で架装と思っていたのだが、数年前に、フォードのカタログにバスがあることが判った。
1928年の資料では、2816cc・20馬力のトラック用裸シャシー325~375ドル。そしてボディーの架装料金が、平荷台50ドル、ピックアップ65ドル、箱形荷室85ドル、バス55ドルとあった。で、円太郎バスの価格は325+55=380ドル程と推測出来る。
上記は標準型バスだが、数年前北京で見つけた写真は木製ボディーが美しい上等仕様だったが、これも資料にあり、その架装代は110ドルである。
以前、多分最古であろう1929年型フォード・ステーションワゴンの美しい木製ボディーが、その後、各社のワゴンに採用され続けたことを紹介したことがある。
また、ラスベガスのインペリアル自動車博物館で見たフォードTタンクローリーも運転席は木製、しかも木肌を見せるニス仕上げだから、鉄製ボディーが出来る前の時代、木製でというのはうなずけるが、美しく木肌を見せることにも工夫があったようだ。
もっとも、ボディー造りは自動車が生まれてから始まったものではなく、長い馬車の時代に完成したものだから、その技術を自動車に応用することは当然の成り行きだったはず。
だから、生まれたばかりの自動車は、馬が消えただけ馬車の延長、西洋でもホースレスキャリッジ=馬なし馬車と呼んだくらいで、またサスペンションも馬車が師匠だった。
さて、紹介するフォードT木製ボディーの年代だが、タンクローリーは1917年。円太郎バスは関東大震災の年か、その翌年だから大正12年/1923年と云うことになる。
北京のステーションワゴンもどきは、このタイプのバンパーは26年~31年だが、28年にフォードはT型からA型にフルモデルチェンジしているので、T型最後の26年型か27年型ということになる。
ちなみにトラック用シャシーの生産台数は、26年22万8496台、28年8万3202台だから、その中の1台が写真の上等仕様に該当するのだろう。
最後に、当時のドル値段はピンとこないだろうが、WWⅡ以前の為替換算率は1ドル=2円。昭和の初め、大卒初任給70円、東京の封切り映画料金30銭、支那ソバ10銭という頃の話しである。