トライアンフと云っても通じない世の中になった。ジャガーやMGと共に、イギリスの代表的スポーツカー屋だから、マニアにはスポーツカー専門と思っている人も多いが、れっきとしたサルーンを造っていたい時代もあるのだ。
紹介する写真のリナウンは、イギリス伝統の刃物で切り取ったようなレザーエッジ姿の、堂々たるフォードア・サルーン。しかもこの車、WWⅡ前ではなく、大戦後のモデルである。
全長4597㎜、全幅1620㎜、ホイールベース2820㎜。車重1298kg。当時としては斬新な直四OHVエンジンは、典型的ロングストローク型でボア85×92㎜、2088cc、圧縮比7で85hp/4200rpm。3MTにはオーバードライブがオプション出来た。
昔風大径タイヤは、575-16-4p。前輪コイルスプリングのWウイッシュボーンと後輪半楕円リーフリジッドアクスルは、当時のオーソドックスな構造である。
如何にも大英帝国時代の雰囲気を醸し出す優雅な姿も、ごく少数の輸入で日本の路上では滅多に見ることはなかった。もっともリナウンの下位モデルのメイフラワーは、ちょくちょく見かけた。兄貴分リナウンの流れを汲むレザーエッジ姿が特徴で目立つものだから、オースチンよりずっと少ないのに目立ったのである。
が、日本では、進駐軍兵士軍属その家族にTRシリーズのファンが増えるに連れて、トライアンフと云えばスポーツカーというイメージが出来上がっていった。
当時、トライアンフの東京での輸入販売は、港区赤坂溜池町のニュートウキョウモータースで、イギリス製スタンダード社のバンガードやエイトも扱っていた。
リナウンの上品なクラシック姿は、角を切り取ったようなレザーエッジから生まれてくる。アメリカ人は、これをナイフエッジと呼んでいた。英国で「昔プレス技術が稚拙だった頃は手作りボディーの高級車だけの象徴的姿だった」と聞いたことがある。
いずれにしても、想い出せば英国王室御用達時代のダイムラーやロールスロイス、オースチン135プリンセスなど、コーチワーク高級車の定番スタイリングだった。
が、WWⅡでプレス技術が向上、高級車ではない中級車のレナウンが、レザーエッジで高級感を演出できるようになったのである。 が、車の歴史が浅い日本人はレザーエッジの高級感が理解できず、単に古くさいという受け取り方をしたようだ。
写真トップのリナウンが生まれたのは1954年、日本では昭和29年。当時日本製の人気車は、日野ルノー4CV、いすゞヒルマン、日産オースチン、前年からノックダウン開始の日本製外車勢達だった。
純血日本種となると、ダットサンスリフト、トヨペットスーパー、プリンス号、オオタ号、軽自動車のニッケイタローやオートサンダル。敗戦貧乏国日本で自家用車に乗る、一握りの金満家達が興味の対象にするはずもなく、国際水準から一歩どころか、二歩も三歩も遅れた乗用車達ばかりだった。
が、日比谷公園で第一回全日本自動車ショーが開催された54年は、日本自動車工業が発展に向け出発した記念すべき年だった。
中級車といえども、戦前の良き印象を残したリナウンの前開きのドアから運転席に乗り込むと、目前のインパネは磨き上げられたニス塗りのウオルナットで木目が素晴らしく、それがドアの肩部、ルーフ後端までのトリムとして伸び、革張りのシートと相まって、素晴らしい雰囲気を醸し出していた。