BMWになる前のミニは、超廉価版大衆車として開発された。なのに、ルイヴィトン、ロレックス、カルチェ等々、過剰に贅沢を知りすぎた日本で人気が落ちないのが不思議だった。90年代、世界各国で輸入中止の中「日本のために造っている」とさえ云われるほど、人気が落ちない車だった。
当時ミニは、既に時代遅れと云える車だった。加速、乗り心地、居住性、振動騒音、何処をとっても日本製軽自動車の方が上で値段も安いのに、ミニは人気者。日本の軽なら、エアコン、AT、パワーステアリング、パワーウインドー等々、上等装備で安いのに。
一方、技術力低下でジリ貧に陥ったローバー社にテコ入れしていたホンダに、何の相談もなくいきなりBMWに身売りしたローバー社は、ホンダにとっては裏切り者だった。
そんな話はさておき「貴方は素晴らしいデザイナー」とピニンファリナが云う開発者アレック・イシゴニス、生家は貧しく基礎教育さえ受けていなかったと聞くが、持ち前の努力と天才的ひらめきで、数々の技術革新とヒット作を生み出したのである。
モーリス社に在籍中、150万台という空前のヒット作モーリス・マイナーの次に開発に手をつけたのが、ミニ。開発コンセプトは「労働者階級に喜ばれる車」だった。
開発を始めて間もない52年に、モーリス社とオースチン社が合併、BMC社になり、ミニの誕生は59年になるが、BMCはオースチン主導のため、生まれたたミニの名は、戦前一世風靡のオースチンセブンにあやかり、その名もずばり“オースチンセブン”。
が、開発元にも敬意を表したのか“モーリス・ミニマイナー”名でも発売、二本立て形態となる。
さて、イギリスの二十世紀社会には、戦後薄れたとはいえ階級制度が残っている。貴族、上流階級、中産階級、労働階級などに区別されて、車でもそれぞれにふさわしい車が無言のうちに決まっている。戦前の日本の良識“身分相応”というやつである。90年代の日本ではそれが壊れて、コンビニでバイトのアンチャンが月賦でクラウンを買ったりする良い?世の中にはなったが。
一方、しつこく階級制度を守るイギリスで、ミニは快挙をやってのける。本来、労働者階級の車だったはずが、各階層の壁をブチ破り、上流階級までが嬉々として乗り始めたのだ。
いずれにしてもミニ人気の波は、魅力を振りまきながら世界に広がっていった。人気が上がれば沢山売れる。そうなれば当然のようにユーザーニーズに合わせて、バリエーションが増える。
スポーツカー、ステーションワゴン、ピックアップ、RV、そして生まれた高級バージョンは開発コンセプトから脱線したものである。
ご承知のようにBMCは合併吸収で成長の寄り合い所帯だから、引き出しの奥には、伝統老舗のブランドが仕舞ってある。そんな銘柄を冠した二台が61年に登場する。
ウーズレイ・ホーネットとライレイ・エルフ。日本でも良くある手段で、二系列販売チャネルに併せて、異なるのはエンブレムだけ、車体は共通というやつである。
写真トップはウーズレイ・ホーネットだが、高級バージョンらしく、メーター類はウォールナットに囲まれて、62年からは本革シートになり、良質なカーペットは感触ばかりでなく遮音対策にも効果を発揮した。
こいつはミニファンでも中上流階級のニーズに応えたもので「荷物が積めない」というミニ最大のウイークポイントを、トランクを継ぎ足したスリーボックス形態で解決したのである。
基本はミニだから車重が増えて性能が低下したが、63年に1ℓ38馬力に成長して問題解決、69年に消えるまで改良が続けられた。またストレッチタイプの1100型に発展するが、それには高級車御用達バンデンプラス架装の車も加えられた。
もう一つ。ミニは強運の持ち主。BMCになってから完成したミニは、没になりお蔵入りした。ところが石油ショックで、急遽省エネ車が必要となり「そうだミニがあった」と再浮上したのである。