【車屋四六】革命児ソアラ

コラム・特集 車屋四六

夏が過ぎて秋が来る頃になると、我々は毎年「今年のイヤーカーは」を話題にする。現在、雑誌媒体が仕切る日本カーオブザイヤーと、一匹狼がポケットマネーで運営するRJCカーオブザイヤーの二つが日本を代表するイベントだが、RJC発足前の話である。

昭和56年=1981年は、初代シティ、新装アコード&ビガー、新RE+空力自慢のルーチェ&コスモ、DOHCターボのスカイライン、FFのスタンザ&オースター&バイオレットリベルタビラ3兄弟、新装サニー、美しいピアッツァ、日本初4駆+ATのレオーネ、そして新登場のソアラにセリカXXなどが勢ぞろい。

やがてクリスマスの日、日本カーオブザイヤーに輝いたのは、トヨタのソアラ。市場で着々とフルライン体制を固めてきたトヨタの、企業イメージを背負って登場のソアラだった。

その前、開発コードネームEX-8で、トヨタが新型車を開発中の噂が巷に流れると、専門家ばかりか街のマニアの間でも「名車トヨタ・2000GTがよみがえる」と、期待に胸を膨らませた。

その頃、日本では、金満家御用達、憧れのステイタスカーは、ベンツSL。ソアラは、その辺を標的に開発されたのだ。トヨタ・2000GT を期待した連中は少々落胆したが、2000GTは手作り高級スポーツカー。が、ソアラは高級な量産GTだった。

が、どちらも、それぞれの時代でトヨタのイメージリーダー的存在であったし、トヨタが持てる最高の技術を結集していたことでは、変わりがない。

話題は、高級感あふれる姿だけではかった。最高の操安性、日本初の針なしエレクトロニクス速度計や電子制御エアコン。もちろん内外装すべて超豪華高級仕上げ。特に注目は、長年蓄積の知恵を結集のDOHC、2795㏄170馬力を誇る5M-GEUだった。

長年の宿敵日産には、前年に登場したばかりの高級パーソナルカー、レパードがあったが、ソアラの登場で一気に色あせてしまった。

昭和56年の日本は、前年に引き続き自動車生産量では世界一。優れた日本の乗用車に世界の自動車生産国が警戒を始めた頃。一方、国内では自動車保有台数が4000万台を突破。敗戦から四半世紀を経て、物は豊かになり、ブランド志向が芽生えた頃だった。

ということで自動車も、ただ走ればいいという時代は過ぎ去り、目的による使い分けが始まり、車には遊びの要素も必要になってきたのである、

で、トヨタはRV市場に目を付けて、ワンボックスのワゴン化、さらにハイルーフ化を実施した。また、ハイラックスはアメリカでRVのヒット商品となる。

が、ソアラは日本市場専用モデル。”トヨタここにあり”的イメージ確立モデルだから、当初の販売計画量は極控え目だった。しかし、蓋を開けてみれば予想外な人気で、嬉しい悲鳴を上げる結果になった。

その頃、日本市場の技術的イメージは、排ガス規制で軒並み低下したエンジンパワーをターボの採用で取り戻した日産が先行していた。で、トヨタは、ターボでなく別の手でイメージ回復を図った。

それでトヨタは、新世代エンジン“レーザーエンジン”のキャンペーンを張ったのである。その第一弾がソアラの5M-GEU。名付けて”ツインカム-6″である。

それまでの日本市場ではDOHCを日常的に使っていたが、トヨタは、あえてイギリス的呼称の”ツインカム”を持ち出し、目新しさの印象づけを図ったのである。

それからのソアラは、後の世の語り草にもなるほどの人気者。語源であるグライダーの最上級品ソアラと同じように、トヨタの期待を載せて大きく羽ばたいたのである。

パーソナルユースの高級車として生まれたレパードはソアラの登場で霞んでしまった